お金依存型社会

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今年ウガンダから日本に帰った友人と時々メールをしている。

現在、日本で酪農をしている彼だが、来年からは畑も耕して、自給自足を考えているとのこと。自給自足をすれば、お金がなくても食うには困らないのだから、羨ましい。ウガンダ人の大半はそういう生き方をしているが、日本でそれをやろうとしているのだから素晴らしい。酪農で現金収入があって、自分の食べ物は自給自足できるようになれば、理想的だと思う。

それに比べて、私は小売業をやっていて、完全に現金に依存している。売り上げがなくなると、生活は行き詰ってしまうし、下手をすれば借金まで抱えてしまうことになる。

逆に、せっかくの自給自足の豊かな暮らしを捨てて、現在お金依存型社会に進もうとするのがウガンダの社会だ。農家は格好悪い古い職業で、街中でスーツを着て働くのが、格好良く豊かな生き方だと皆が思っている。都市部の貧困層の発生の原因はここにあるのではないかと思う。農業に依存しなくなってから貧しくなったと、はっきりと言う人もいる。

宗主国によってもたらされた、国家や通貨のシステム。これらは、時間の問題で早かれ遅かれウガンダに導入されていたことだろう。先進国が築いた経済構造、この土俵の上で競争すればするほど引き離されていき、通貨の基準において貧しさを深めていく。

マイクロ・ファイナンスとかフェア・トレードなどの先進国側の努力も、お金を上げることによって、お金依存型社会に拍車をかけている部分がある。それよりは、過去に存在した自給自足の生活を再度確立するほうが、近道で優先順位も高いのでないか。後者が真の自立であるのに対して、前者は一過性が否めない。

現代では、教育費、医療費など現金がないと生活が出来ないのは事実だし、人口急増で自給自足が出来ていた頃とは社会構成が大きく変わり、農地を持てない人が多いのも事実。しかし、社会全体を見ると、お金依存型社会にしないほうが幸せになれる人が多いように思う。国際的経済市場に嵌れば嵌るほど、彼らの基準において貧しくなっていくのではないか。

「私は皆とは違った生き方をします。」と言うことが出来たら、少しは気が楽になるように思う。

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