ウガンダ15年 電気事情

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1994年当時、私はコロロというカンパラの高級住宅街に住んでいました。その地域でも停電は常時ありました。週に2-3回はあったと思います。なので、家にはろうそくをたくさん準備していました。

決まって夕方の7時くらいで停電が始まり、11-12時くらいになって電気が帰ってきます。停電の暗闇の中で寝ていたら、夜中に天井の電気が突然ついて起こされるといった感じです。

また、電圧が不安定で、裸電球の線が良く飛び、頻繁に電球を交換していました。ひどい時は、外側のガラスまで破裂しました。電圧が不安定なので、テレビでも冷蔵庫でもなんでもスタビライザーを付けていました。

当時は発電機を売っているお店も少なくて、お屋敷のような大きな家でしか発電機を使っていなかったように憶えています。多くの人は停電を最初から諦めていたのでしょう。それと、まだコンピューターが普及していなかったので、停電になっても日中なら気付かないことも多かったです。ファックス機の呼び出し音が止まらないので、見てみたら電気が来ていなかったという感じです。日本から電話が掛かってきて、なぜファックスを受信できないのかを説明するのが面倒でした。

確か、2006年が旱魃の年で、ビクトリア湖の湖面が下がり、水力発電ができなくなり、深刻な電力不足となりました。電気の供給が安定してきていたところに、また電気機器もだんだん増えてきていたのか、皆の停電の不便さの実感が増したようで、発電機が飛ぶように売れました。発電機が買えるだけの購買力もあり、発電機も以前よりは廉価になっていたようです。なので、もっと電気事情の良い現代のほうが発電機が普及しています。

今私はカンパラの郊外に住んでいますが、停電は月に2-3回あるかないかです。以前では考えられないことです。

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