1994年、ウガンダは整備されていない車両がたくさん走っていました。
路上で立ち往生する車が今より多かったです。オーナーが整備をしようとしませんでしたし、整備のできるガレージも少なかったです。
長距離路線の脇には必ず走れなくなった車両が止まっていて、その中でも一番多かったのがタタ製トラックでした。ディーゼル・エンジンを治せるガレージもなかったので、走っている車のディーゼルの黒煙も今よりもっとひどかったです。今は、ディーゼル・エンジンが故障しにくくなりましたし、治せる人も出てきたので、だいぶ良くなりました。
立ち往生の理由のひとつに、ガス欠もありました。ガソリン・スタンドで1-2リッターしか給油しないので、少し走っただけでガソリンがなくなってしまうのです。ガソリン・スタンドの数が今の半数以下だったことも関係していたと思います。今でも、少量しか給油しない人は多くいますが、ガス欠で道端で止まる車両は減りました。だいぶ計画性が上がったようです。
また、当時はエアコンを使う人がいなかったのと、治せる人もいなかったので、皆窓を全開にして走っていました。今は窓を閉めて走る人も多いので、きっとエアコンを使っているのでしょう。
タイヤ修理に関しては、当時はチューブレスを治せなかったので、みんなチューブと入れて走っていました。それが今ではチューブレスを治せるようになり、チューブを入れていない車両のほうが圧倒的に多くなりました。
それと、割れた窓ガラスを交換せずに走っている人もとても多かったです。飛び石の痕から蜘蛛の巣状にひびが入るのですが、きっと前はちゃんと見えないだろうに、ほったらかしでした。最初に見た時には、銃で撃たれた痕、戦争の名残なのかと思ったほどでした。
当時は4気筒のエンジンを見て、なぜか4バルブ・エンジンだという人が多かったです。自称自動車整備士でさえそうでした。