1994年当時のウガンダの治安はとても良かったです。今より、強盗や車の盗難が少し多かったように憶えていますが、既に東アフリカで一番治安の良い国と言われていました。
1998年にケニアとタンザニアのアメリカ大使館が爆破されましたが、その前くらいからウガンダでも長期間に渡って爆弾テロが多発しました。当時はアメリカ関連の機関には近付かないように、言われていました。しかし、ウガンダの爆弾テロは、アメリカとは全く関連のないところで行われ、反政府のゲリラ活動とも言われていました。
手法は簡単で、レストランや乗り合いバスの中に、黒いビニール袋に入れた時限爆弾を置いて立ち去るというものでした。人が多く集まりそうな場所に、爆弾を2個仕掛け、一個目の小さな爆発で野次馬を引き寄せて、人数が増えたところで本番の二発目が爆発するという順番で、毎回2-3人は死んでいたと思います。
当時は、レストラン、自宅、事務所どこにいても、不審なビニール袋やかばんには皆が目を光らせていました。そんな中、気の利かない運転手が、自分のジャケット入れたビニール袋を事務所において仕事に出てしまったり、買い物に出かけた事務員が誰にも言わずに、スーパーからもらってきたビニール袋を事務所に持ち込んでいたり、人騒がせな出来事も多々ありました。しかし、それくらい皆が爆弾に対して神経質になっていました。
といって、カンパラで生活するのに、スーパーでもレストランでも公共の場に一切行かないという訳にはいきません。当時はある種の覚悟をもって、そういう場所に行っていました。
2週間から1ヶ月おきに爆弾事件が起きていましたが、昨日あったばかりだから今日は大丈夫とか、爆弾の翌日は意外に気が楽だったのを憶えています。