ウガンダ15年電話事情

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1994年、ウガンダには未だ携帯電話がありませんでした。

だから、人と約束をするのがとても大変でした。今よりもっと皆時間にルーズでしたし、約束をすっぽ抜かす人多かったです。携帯がなかったので、どこに誰がいるのか全然つかめませんでした。なので、急ぎの場合は、アポなしで行くとか、その人の事務所に長時間居座るとかして、人に会っていました。

当時はUganda Post and Telecommunication Corporation(UPTC)という国営企業が電話サービスを提供していたのですが、サービスは良くありませんでした。事務所でも家でも、電話を引くのに1ヶ月は掛かったと思います。それも、何度も催促に行って、心づけも渡して、やっとでした。

不定期に請求書を送ってくるので、請求書が来る前に電話代滞納で、電話が切られてしまうことも頻繁にありました。また、明細がもらえるのは国際電話のみで、市内通話は使用した金額しか提示されず、本当に自分で掛けたのかさえ分かりませんでした。

当時はどんな小さな事務所でも、秘書と呼ばれる女性が雇われていて、役割は電話番とタイピングでした。今のように、前払い式の電話がなかったのですが、この秘書が電話を個人的に使用して、電話代が異常に高くなるということも多かったので、電話のオーナーが電話機を鍵の掛かる四角い木の箱に入れて、受話器以外は触れないようにしていました。自分が電話をかけたい時は、南京錠を外して蓋を開けて電話を使います。電話機はボタン式、回線はアナログでした。

また、国際電話の不正使用も多く、街中には闇国際電話サービスがありました。私の電話も不正使用されたことがあり、500万円ほどの請求書をもらったこともありました。明細を見せてもらうと、掛けたこともないような国の番号がずらりと並んでいました。電話線と電話機の間に取り付けると、不正使用ができなくなるような商品もあったように憶えています。

回線の故障もとても多かったです。その時に「掛けられた番号は使われていません。後ほどお掛けください。」とバリバリのウガンダ英語が流れるのですが、「掛けられた」の「か」の前に思い切り息を吸う音が入っていて、それだけを聞いて本文は聞かずに、受話器を置いていました。

携帯電話のサービスは95年に始まります。

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