ウガンダ15年 ルワンダの大虐殺

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1994年、この年はウガンダの隣国ルワンダで大虐殺が起きた年でした。

私のウガンダへの赴任が6月、下見に来たのが5月でしたから、虐殺の真っ只中だった筈です。今となっては、歴史的大虐殺という認識がありますが、当時後日こんな大事件として扱われるとも思いもしませんでした。

今は、ルワンダの大虐殺に関する出版物も多く、その捉え方も定着してきました。海外の軍が撤退し、虐殺用の武器が大量に持ち込まれるなど、環境が整ってからの大虐殺だったようです。ルワンダとブルンジの大統領の乗った飛行機が墜落した報道までは憶えているのですが、その後あまり記憶にありません。当時は私自身ウガンダでの生活や仕事に適応するので精一杯で、未だインターネットもなかったですし、テレビもあまり見なかったこともありますが、虐殺の最中はそんなに報道がなかったのではと記憶しています。

ルワンダの大虐殺の凄さを知ったのは、95年にキガリに行って、ルワンダ人から話しを聞いた時でした。100万人が殺されたと聞いた時は、どうやって?と疑問に思いました。ガス室でも使わないと100万人も殺せない、でもアフリカにガス室なんてないでしょって。大半が山刀で殺され、サッカー場に収容されて鉄砲で次々に殺された話などを聞いて呆然としました。その話を聞いたのが、偶然ホテル・ルワンダの舞台となるミルコリンズだったのですが、当時はそんなことは知りませんでした。

商売上お付き合いのあったルワンダ人から、そのお話を聞いたのですが、当時は未だこれからどうなるか確信が持てていなかったのか、人目を気にしながら人に聞こえないように話していましたし、ここに誰がいるか分からないからここでは話せないと、はっきりと言う時もありました。

当時は、カンパラにもたくさんルワンダ人がいて、UNHCRのカンパラ事務所にも毎日大勢が詰め掛けていました。スーダン難民やケニア難民がカンパラ事務所に押しかけるなんて話は聞いたことがないので、やはり規模が違ったのかなと、今になってそう思います。

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