南アフリカで思ったこと 優勝杯の公開

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ワールドカップ始まる前、その優勝杯が公開されるソウェトの会場に行った。時間になると近所の黒人が、徒歩で三々五々集まってくる。皆、とても庶民的な服装をしている。会場の体育館のステージの上に優勝杯があり、黒い幕がかけられている。旗を片手に振りながら、ブブゼラを吹く皆が会場の中に入ってくる。そして、幕が下ろされ、優勝杯が姿を見せた。

記念写真を撮ったり、叫んだりと、会場はとても盛り上がっていることは間違いないのだが、国際的な気取ったそれではなく、ほのぼのとしてあくまでも庶民的な雰囲気な盛り上がりだった。この優勝杯の価値を、彼らは本当の意味では認識していなかったのではないかと思うほどだった。

90年代半ばまでは、支配者層の政策を理由に国際的な制裁を受け、居住地区も限定されていた黒人。1994年、黒人初の大統領が選ばれ、制裁が解かれ、やっとスポーツの国際試合にも出られるようになった。それから、約15年後にそこでワールド・カップという世界的スポーツ・イベントが開かれるとは、誰が想像しただろうか。

ソウェトの優勝杯の公開に集まった人たちは、このような背景を思い起こしながら感慨深く思っていたのだろうか。私にはそう見えなかった。自分たちの好きなサッカーの大会の優勝杯が、地元に来て嬉しかっただけなのでは、表面的にはそう見えた。しかし、年配の方たちが、ソウェトでの優勝杯公開をどう受け取ったか、アパルトヘイト終結後に生まれた若い世代はどう思ったのだろうか、とても興味深く思った。

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