1994年、その当時ウガンダで一番大きかったスーパーマーケットは、コーヒー開発局のビルの1階にあって、私の記憶が間違っていなければ、スター・スーパーマーケットという名前でした。
お店はそれなりに広かったのですが、現在のカセセやトロロなどの地方都市にあるスーパーよりももっと品揃えが少なかったです。そこに、黄色いパッケージの中国製のインスタント・ラーメンがあって、辛いだけで全然おいしくなかったのですが、選択肢がないのでそれを買ってよく食べていました。当時あったミネラル・ウォーターはルウェンゾリの1種類のみで、500mlのものが、千シリング(当時1ドル)でした。デザインは今も変わりません。
ナカセロ市場からヒンズー寺院にかけての一帯には未だビルがなく、日用雑貨の露天商がたくさん並んでいました。皆同じものを売っているのに、皆法外な値段を吹っかけるので、いちいち値切るのが面倒でした。
また、当時はカンパラの街中に免税店があって、外交官はそこで買い物をしていました。私も入ったことがありましたが、空港にある免税店と似たようなものしか販売されておらず、あまり実用性はなかったと憶えています。因みに、そのお店は直ぐになくなりました。場所は、当時グリーンランド銀行(現在カイロ銀行)の隣で、現在はバタ・シューズのお店になっています。
こんな感じで、カンパラでまともな買い物はできなかったので、当時、外国人の多くは、カンパラで買い物をすることを最初からあきらめていて、海外で買い物をして持ち込んでいました。そういう意味では、今よりずっと住みにくかったと思います。
しかし、当時の人は本当に物資の無かった7-80年代と比較していたので、カンパラも物資が増えたという考えの人もいたように憶えています。
ペイレスのような特定の住宅地を対象にスーパーや、ショップライトやウチュミなどの大型スーパーができたのは2000年以降です。