先人に学ぶ。といっても、私のお父さんお母さんくらいの世代の人たちなので、先人などと言うと怒られてしまいそうだが、70年代にウガンダに住まれていた方の文章を読んで、かなりの感銘を受けたので少し紹介してみたいと思う。
1977年に国際協力事業団が発行した「EXPERT」という書物で、ウガンダでテレビ放映の普及に携わった高松威氏ご夫妻のインタビューが記載されている。高松氏には存命中に、ウガンダでお目にかかったことがある。
高松氏は、昭和49年にウガンダに赴任され、2ヵ月後に祥子夫人が3人の子供を連れてウガンダに来られる。この文面からすると、当時長男6歳、長女3歳、次女2ヶ月と思われる。
高松氏「当初の二ヶ月間、一人で現地で生活しました。というのは、私が現地へ出発する二日前、三人目の子供の次女が生まれ、家内が未だ入院中だったものですから、、、。私から2ヶ月遅れて、家内が子供三人を連れて現地にやってきました。」
感想:二日前に生まれたばかりの子供を置いて、ウガンダに行ってしまうご主人もご主人だが、僅か2ヵ月後に生後2ヶ月の子供連れてくる奥さんも奥さんだ。現代日本人(高度成長期以降の世代と定義します)にこんな根性はないと思う。補足をすると、当時のウガンダはアミン政権で国際的な制裁を受けて経済が破綻している。故人に対して、少し不謹慎な言い方かもしれないが、正直な私の感想は、それってちょっと無茶が過ぎるんじゃない、というところだ。
高松氏「長男は、まだ小学校低学年だし、長女も幼稚園の年少組です。子供たちは現地にすぐに順応すると聞いていたので、それほど私は心配していませんでした。」
感想:現代日本人は、なかなかここまでおおらかになれないと思う。
高松夫人「日本とは比較にならないほどきびしいです。朝、校門に校長先生が立っていて遅刻したら学校に入れてもらえない。三回以上、遅刻したら退学です。そして体罰もあります。」
感想:当時は、小学校が義務教育ではなく、限られた子供のみが就学できる状態だったようだが、それ故にこんなこともできたのだろう。今においては、校長先生が学校に来ない学校もあるほどで、学校の数が増えた分、学校の質は下がったと言われている。体罰も原則的に禁止になった。
高松氏「私どもの小学校低学年時代は戦争中でした。毎日、空襲があったり、田舎に疎開したりして、勉強したという記憶は全くない。といって、現在、社会から取り残されているとか、考え方に著しいズレがあるとか、そういうことはないですよ。」
感想:素晴らしい。しかし、現在の日本の経済の基盤を作ったのはこの世代の人たちである。この時代よりも大学の進学率も上がり、もっと高度な教育を受けているだろう現代日本人を見ていると、学校教育の価値を考えさせられる。
高松氏「野菜、果物はあるが、必要な物資がありません。例えばハミガキ粉、石鹸、洗剤とか電気製品などがない。教科書、ノート、鉛筆なども不足し、、」
感想:アミン時代は本当に大変だったと聞くが、石鹸もなかったようだ。現代日本人には到底無理だと思う。石鹸なしは私でも嫌だ。当時は、石鹸でもトイレット・ペーパーでもナイロビまで買出しに行ったらしい。私ももっと質の高いノートが欲しいとは思うが、現代ウガンダではノート自体はいくらでも街中に売られている。
私は幸いこのような文書を読む機会に恵まれたが、現代日本人が先人から学ぶことは多いと思う。