新しい書庫「遠くから見た日本」です。
日本を離れて20年近くになりますが、生まれも育ちも日本で、両親も純血の日本人で、会社の顧客もほとんど日本人で、日本は私に切っても切れない関係にあります。
これだけ海外にいても、遅刻することに罪悪感を感じたり、他人の遅刻が許せなかったり、長蛇の列に横入りできなかったり、他人の横入りを許せなかったり、自分が日本人であることを痛感させられることが少なくありません。なので、そんなに長くウガンダにいたら、和田さんはもうウガンダ人ですね、なんて言われると、その人の頭を鈍器でかち割ってやりたくなります。
という訳で、私は今でも自分自身のことを強く日本人だと思っており、常に日本について当事者として話すようにして、海外が長い日本人で自己が日本人以外みたいになっていて、日本のことを他人事のように話す人が大嫌いです。
インターネットのニュースなどを読んだり、現代日本人を見ていて、日本のことを考えることが少なくありません。。日本にいたら当然なのかもしれませんが、日本に住んでいる日本人を見ていると、考え方に客観性がなく、視野が狭いと思うことがたびたびあります。
例えば、ウガンダの民家に水道がないことに驚く日本人を見ると、君の家も水道が通ったのはせいぜい君のおじいちゃん・おばあちゃんの世代ではないのか、時代劇は見たことはないのか、「おしん」は見ていないのか、この人は何を見聞して大きくなったのかと聞きたくなります。
この例を読んで、和田は頭がおかしい、やはりウガンダ人になっていると思う人がいるでしょう。そこが大切だと思います。
前置きが長くなりましたが、遠くから見た日本を、当事者の日本人として書いてみたいと思います。