遠くから見た日本 人間の退化

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日本に帰って、日本人を見て、良く思うことの一つ。性的でないこと。男性も女性も、ずぼらな人もお洒落な人も、性的魅力が感じられない。性的アピールがない。グーッと腹の底から、私は男だ、私は女だ、というような性のアピール。

髪もちゃんと手入れして、それなりに高そうでお洒落な服を着ていて、女性なら化粧もきれいにして、見られることを意識しているだろう人を見ても、中身から出てくる性的アピールを感じない。性がはしたないものを考える文化的な影響もあると思うが、果たしてそれだけだろうか。

男性で言うと、石原裕次郎とか松田優作とか、男性としての色気があったように思う。女性なら、高橋恵子とか大原麗子か。いつの話をしているのと、笑われるのだろうが、言いたいのは、要するに時代が変わったということ。

乗り物、通信手段、コンビニ、犯罪率の低さなど、道具や社会がどんどん進化することによって、本来人間がしないといけないことがどんどん減っていって、ある種の進化か退化が日本人に起きていて、本来人間の持つ本能が必要なくなってきていて、性を含めた本能が希薄になってきている、これが私が現代日本人を見て思うことだ。ガラパゴス化という言葉があるようだが、日本の市場や商品がそうなっているのは、日本人本人がそうなっているからではないか。

私は、道具も社会も日本のように発達していない社会に住んでいて、そこで本来人間の持つ能力をもっと駆使して生きている人の中で生きている。水道がないから、川に洗濯に行き、川から水を汲んで家まで運んで、夜も街灯がないから目を凝らして夜道を歩いて、警察も裁判所もあまり当てにならないから、多少のことは自分自身で自分を守って、自分で解決をする。政治家や社会構成に問題があれば、暴動を起こして、それを自分で変える。

アフリカは人種が違って体型も違うが、男性も女性も自分の性を一生懸命アピールする。これをどう解釈するか。民度という言葉を使って、低く見ることもできる。ただ、子孫繁栄という意味でいうと、こちらの方が人間の持つ本能に近く、異性にアピールするのも理に適っている。

日本でも、水道や電気が普及し始めたのは戦後のことで、法治国家がこれだけ機能し始めたのは江戸時代からだろうか。長い歴史から見ると、現在日本がかなりの特殊な環境なのだろう。水道に慣れて、水を汲んでくる体力がないとか、洗濯機に慣れて、手で洗濯ができないとか、パソコンに慣れて、漢字の手書きができなくなったとか、あげると切りがない。私もできないことが多い。

出だしのところ書いた日本人の性的アピールの弱さだが、特に男性の方にそれを強く感じる。日本にいて、弱弱しそうでぼけっとしている男性を見ると、お前はオカマかと頭をはたきそうになる。生殖という意味では、そもそも種付けくらいしか役割のない男性の方が本能の退化の速度が速いのだろうか。

少し極端な話になるが、男性から生殖機能がなくなると、当然その種は絶滅する。だから、このまま男性が弱くなっていくというのは大問題だ。種の保存の目的で、弱くなった男性を無人島や戦場に送り込んで、文字通り必死にもがかないと死に瀕するような体験することにより、本能に目覚めてもらうような制度ができたらどうしよう。その手の赤紙みたいなものが届いたら、私は本能があります、と必死に抵抗しよう。でも、行った先でたくさんもがいて帰って来られたら良いけれど。もがく力さえなくなっていたら、帰って来れない。そこで、全ては終わってしまう。

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