日本というのは、物作りが本当に好きで上手な国でだと私は常々思っていて、最近は価格の点で世界市場から取り残されつつあるようだが、今でも日本人が作った物は、世界最高級の品質を誇ることが多いのではないだろうか。
工業製品以外でも、日本は物作りが好きなんだなーと思う点の一つが造語だ。既存の日本語単語を工夫して新たな言葉が作られ、毎年年末にはその年の流行語を表彰して、本当に日本人は言葉が好きな人たちなんだなと思う。
また、いろんな外国語の単語を取り入れて、上手くまた都合よく日本語化するのも面白く、それも日本語化したのって日本人に聞きたくなることがある。その言葉の本国の人もびっくりするような使い方も多いのではないだろうか。ただ、現実逃避的に使われる外来語も多いように思う。
今年、日本に行った時のコンビニのレジでの会話。
店員:「お弁当は温めますか。」
私:「はい、お願い致します。」
店員:「セルフレンジとなっておりますので、、、、、、、、」
要するに、店内にある電子レンジを使って、ご自身で温めてください、とのことだった。不思議な言葉だなと思って聞き直したが、間違いなく「セルフレンジ」と言っていた。
変な造語のカタカナ英語を使わずに、「弊店では、お客様ご自身に温めていただくことになっておりますので、、、、」と言えば良いのに、この人、訳が分からないと思ったが、翌日違う店員も同じ言い方をしたので、これはきっとお店の方針なのだろう。適切な日本語力と対話力があれば、こんな変なカタカナ英語は必要ない。
以前からの持論であるが、日本語での会話の中で出てくるカタカナ英語の多くは、「ごまかし」か「知ったかぶり」だ。危険性という言葉があるのに、危険性が高い時にリスクが高いと言い、私的なことをプライベートと言い、礼儀作法のことをエチケットと言う。日本語単語にない概念の言葉ならまだしも、なぜもこう既存の日本語単語で十分表現できるのに、わざわざ外国語を使うのか。
「コンプライアンス」とか、「マニフェスト」などは、堂々と日本語で断言できない場合のごまかしとしか思えない。連絡が遅くなった時に、「ショートノーティスですみません」などと言うのも、しっかりとした日本語で連絡が遅くなったことを謝ることのできない人の知ったかぶりのごまかしだと思う。カタカナ英語の肩書というのも、実態をごまかした感じの疑わしい職業が多いように思う。
で、ここで言いたいのは、何か日本国内で英語なり外国語からくるカタカナの単語があれば、それを少し疑ってみることだ。日本語であればどの単語に当たるのか、適切な日本語単語があるのに、なぜその人は日本語以外を使おうとしているのか、背後に何かがあるのではないかと。
少し大げさに思われるかもしれないが、私は真剣にそう思っていて、イタリア料理でもフランス料理でも日本国内で改良された物の方おいしかったりする意味合いで、外来語を使って造語ができたりするのは、本国の人には失礼かもしれないものの、痛快であったりするのだが、都合よく外国の言葉や外国の概念に基づいて「逃げ」に使われる外来語が増えるのは悲しい現実だと思う。