起業という夢、起業という手段

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最近、アフリカに来る若者で、アフリカで起業したいという人が多い。彼らのその言葉を聞く度に、私は強い違和感を覚える。

古い考え方なのかもしれないが、私の考える起業は、会社勤めをしていて成績も優秀で、独立してもやっていくだけの、人脈、資金、顧客を確立できた人の場合、会社勤めをしていて、特技がありながらも、会社という組織に収まりきれない性格の人の場合などだ。

起業してもしなくても、何らかのサービスを提供して、それに対する対価をいただいて生計を立てるという点では、会社の一員としてサービスを提供するか、個人か会社の代表としてサービスを提供するかの違いで、やはり質の良いサービスを提供する能力が必要なことには変わりない。ある程度の質のサービスを提供できない人に起業はできない。やったとしても、直ぐに死ぬ(倒産する)。だから、会社勤めをしていて、相当自分に自信がない限りは起業はすべきでない。そうやって、自信をもって起業した人も、大半は3年くらいで死ぬ。

ただ、今の日本では、起業支援なるものがあり、起業サークルなるものがあるらしい。はっきり言うが、自力でスタート地点に立てない人は、その後も自力で走り続けることはきっとできないし、次々と現れる壁を乗り越えていくこともおそらくできない。また、起業するということは、孤独を抱え込むということだ。全ての決断を背負い、社員とも一線を画した関係性になり、友達ではなくなる。だから、サークルに入って、皆で仲良く起業を考えようなどという性格の人は、そもそも起業に向いていない。

それと、起業の認識だが、起業は「手段」であって、「目的」ではない。例えば、電気自動車を作りたいという「目的」を持つ若者がいる。どうやって、電気自動車を作るかという「手段」を考える。おそらく、彼にとって一番良い方法は、大手自動車メーカーに技術者として就職することだろう。ここで、もし彼が起業という「手段」で、電気自動車製造という「目的」を達成しようとするなら、それはかなり非現実的というしかない。ただ、パソコンという市場がない中、パソコンを作ろうという「目的」を持つなら、起業という「手段」は有効だろう。ただ、ない市場を作るというのは、たやすいことではない。

私は、下積みを経験することなく独立したので、その苦労を独立後に体験することになった。だから、下積みを経て社会人になった人のことが羨ましいし、その点では常に自分に劣等感を感じている。その時は、安月給だろうし、毎日怒られて精神的にも大変なのだろうが、お金をもらいながら、社会人の基盤を作れるというのは、本当にうらやましいことだと思う。会社としては、大きな投資なのだと思う。

最後に、私の自論だが、私は起業家は放っておいても勝手に起業すると思っている。魚は魚なので、泳ぎ方を教わらなくても、いくらでも水中で泳ぐ。ただ、泳ぎが苦手な人や不向きな人は、泳ぎ続けるのがだんだんと苦痛になるので、水中に居続けることはできないことが多い。

で、そういう夢を持つ若者に私がよく言うのが、先ず社会に入って、基盤を作って、自分自身の性格や力量を確かめた上で、もう一度考えてみなさい、学生なら今やりたいことと、社会に入ってやりたいから思うことは、きっと変わる、社会人になることから逃避してはいけない、というようなことだ。また、こんな最貧国でお金儲けをしようというのは、そもそも現実的でないし、社会の役立ちたいなら、先ず自分が力を付けて、社会の役に立つ人間になって、自分自身に経済的な余裕を持つこと、そうでないうちは社会の世話になるばかりで、残念ながら自分が社会の役に立つことはできない、など。

若者特有の流行なのか知らないが、起業を安易に考える人が多いので、自分自身のことを棚に上げて、書いてみた。

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