遠くから見た日本 神戸の教員問題

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遠くから見た日本。以前に少し書いたことがあったのだが、ネットの新聞記事などを気になったことをまた書いてみようと思う。日本に住んでおらず、ネット情報に基づいたことを書くので、もし勘違いなところがあれば、是非ご指摘ください。

 

今回は、神戸で起きた小学校の先生の問題。事件そのものよりも、マスコミの取り上げ方や一般の人の反応が気になった。

 

マスコミの取り上げ方でも、一般の人のネットの書き込みでも、いつまでも加害者の教師を非難の対象に騒ぎ立ていて、そこで終っているように見える。彼らのやったことは確かに非難に値するだろうが、いくら現場や末端の人たちを叩いたところで、彼らのできる自浄機能はたかがしれていて、やはり教育の大本であり、それを司っている政治家たちに非難の矛先が向かないと、本当の意味での解決にはならないと思う。事情に詳しくない私が言うのもどうかと思うが、今ままでも散々いわれている教員の労働環境の問題を放置してきたから、良い人材が集まりにくくなっていて、言い方は悪いが「こんな人たち」しか教師の成り手がいなかったのではないか。

 

超優良企業がたくさんあって納税者がたくさんいて、国家予算が潤沢な日本だが、少子化問題に瀕している中、いじめ問題や児童待機など国の将来を担う教育をおざなりにしているのが信じられない。

私の住む途上国は自国の予算で教育が賄うことができず、先進国の予算に依存する形で教育が行われていて、自国内の政治機能の問題もあり、こちらの教育の環境はお世辞にも良いとは言えない。あまり授業に来ない先生、授業中に携帯電話で話す先生もいたり、教師間の問題もあると聞く。そういう背景もあるのか、公立の学校と有名私学、都会と地方の間には大きな学力の格差がある。

 

そうやって考えると、日本は都会でなくても公立の学校でも、ある一定の教育を受けられる素晴らしい国だといえると思うのだが、今の時代ではもはやそうでもないのだろうか。

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