ウガンダの新聞 神の抵抗軍ドミニク・オングウェンに有罪判決 私の思ったこと
神の抵抗軍ドミニク・オングウェンの有罪判決に関し、前回判決後と逮捕後の経緯に関する記事を紹介しました。神の抵抗軍の全盛期もウガンダに住んでいて、彼らがどれだけ莫大な被害を与えたかをとても身近に体験した私ですが、彼と年齢が近いこともあり、ドミニクに下された判決にはいろいろと考えさせられることがありました。いくつか理由を書いてみます。
一つ目は、彼は本当に有罪であるかという点。神の抵抗軍は誘拐した子供をかなり残酷な方法で洗脳することで知られていますが、下記の記事にドミニクが脱走を試みた際に相当な経験をしたことが書かれています。その後も一般社会との交流がなく、更正の機会がないまま育っており、ドミニクはあくまでも誘拐された犠牲者・被害者であるため、許されるべきだという声もありました。神の抵抗軍に誘拐され従軍された子供のほぼ皆が、誘拐された当初は被害者であったのに対し、従軍したことで自分が加害者になったという両面を持ち合わせています。なお、ICCはこの点を考慮した上で有罪判決を下したと発表しています。
https://www.bbc.com/news/world-africa-30709581
二つ目は、ドミニクを裁くのは誰なのかという点。神の抵抗軍は異民族間の民族紛争ではなく、ゲリラ側も被害者側も同一民族というのが一つの特徴でした。よって、その民族の伝統的な慣習で裁くべきだ、また、民族の慣習は現代では有効な法律ではなく、ウガンダの国の法律で裁くべきなど、当初いろいろな意見が出ました。一つ目に書いたような背景がありつつも、被害の大きさを考えると、彼を無罪にすることは誰にもできなかったでしょう。いずれの法で裁いた場合も、反対意見、賛成意見で相当揉めただろうことが考えられ、当事者同士でなくICCという国外の機関がその役割を果たしたことで、有罪判決に関してウガンダ人が批判の対象にならなかったという利点がありました。ただ、ICCがドミニクを裁くことに対して反対の声もありました。
三つ目は、ドミニクを裁いてお終いなのかという点。神の抵抗軍は1986年から20年間近くゲリラ活動を続けましたが、その背景には相当な規模で人物金が揃っていた筈で、それらを提供した誰かがいる筈で、現場で武器を手にした人だけが裁かれてお終いで良いのか、という疑問です。
神の抵抗軍がまた加害者としてのドミニクが行った行為は全く肯定の余地がないものの、もし誘拐されたのが自分で、10歳からあまりにも特殊な環境で特殊な育てられ方をされていたらと思うと、この有罪判決を手放しに喜ぶことができません。仕事の関係で、多くの神の抵抗軍の元子供兵に、多くの被害者にインタビューをしたきたことで、多少の感情移入があるのかもしれませんが、ドミニクの有罪判決には本当に複雑な思いを抱きました。