「なぜアフリカは発展しないのか」の理由として、アフリカには教育がなかったからだ、というような声を聞くことがあるが、それは事実ではないと思う。時代を遡れば、西洋にもアジアにも教育のない時代はあったが、現在はいずれも発展しているからだ。
今回もウガンダを例に話をするが、西洋人がウガンダに来た1877年には学校や職業としての教師はいなかった。両親や親類が家庭内で、文化や技術を伝承する教育を行っていた。
ウガンダで初めに西洋教育を始めたのはキリスト教の宣教師で、彼らの宗教学校で1898年くらいから各地の地元の名士の子供を対象に教育を始めた。主に、宣教師が宗教教育、農業、読み書きを教えるものだった。その後も各宗教、各宗派が学校を開くが、それぞれの信者のみが教育の対象だった。また、1925年から保護領政府が段階的に教育の制度を整備していった。マケレレ・カレッジができたのは1922年、マケレレが大学になったのは1949年だ。
独立の10年前1952年に導入された教育制度を見てみよう。小学校は6年間、年少中等部2年間、中学校4年間、高校2年間、マケレレ大学や海外の大学、教師訓練校、政府教師訓練単科大学、技術単科大学、カンパラ技術研究所がある。興味深いのは、年少中等部という名の職業訓練校で、小学校卒業者を対象に、農業、木工、建築を教え、女子向けの良妻賢母になるための教育もあったようだ。因みに、この年少中等部は独立の際に、敗者の印象を与えるとの理由で、独立後1963年に廃止されている。
こうやって、ウガンダでの教育の始まりをみていて残念に思うことは、彼らの社会の伝統の延長上にそれを築くことができなかったことだ。当時、西洋教育とアフリカの伝統的な教育の間には大きな隔たりがあったことが、その延長上に築くことが難しかったことが背景にあるのだろうが、結果として伝統を継承しない教育になってしまった。
日本では戦後に戦勝国が主導する形で学制改革があって、戦前と戦後ではいろんな意味で日本が大きく変わったが、もし学校教育が全て英語で行われ、教育課程が全て西洋のそれになっていたら、その変化の度合いははるかに大きなものになっていたのではないだろうか。
あと、彼らの教育の実態や教育に対する考え方を見ていると、形から入っているいて、現在の教育は西洋からの借り物でまだ自分のものにできていないような印象を受ける。私がなぜそう思うのかいくつか例を挙げてみる。
自社の社員や取り引き先と接する中で、算数でも英語でもかなり初歩的な学力がないことに気付くことが多い。彼らに尋ねてみると、それは子供が学校でやることで、社会人になった今はそれができなくていいのだ、というのが彼らの言い分だ。また、学歴と学力が伴わないと思うことも多い。
社会構成と学校での教育課程の隔たりにも、それを感じる。人口の7割が農業に従事していて、且つ彼らの多くが高等教育を受ける金銭的な余裕がない中、現在の教育は社会の主流である彼らに適したものとは思えない。多くの子供たちが高等教育に進み、それ自体は悪くないのだが、彼らが望むような就職先は数が少なく、卒業後、職にあぶれてしまうことがとても多い。学校で学んだことを活用することなく終わってしまう。
就学率の問題もここに原因があるのではないか。もし、小学校を卒業して直ぐに学べるような農業関連の職業訓練校が多くあれば、雇用という形でないとしても、職場はとても多いし、卒業後に学習したものを活用できる可能性はずっと高くなる。そうなれば、子供の保護者も今よりも教育に強い関心を持ってくれるのではないだろうか。
「なぜアフリカは発展しないのか」への問いの答えを、教育から考えてみた。教育に限らず、宗主国から受け取った社会の形をもっと自分たちの都合のよいものに作り変えていく必要があると思う。