「なぜアフリカは発展しないのか」という問いを、コロナ禍の社会構造という視点から考えてみる。
ウガンダでコロナのロックダウンが始まったのは、2020年3月下旬だった。国境が封鎖され、全ての出入国ができなくなり、自家用車、公共交通機関の使用が禁止された。全ての学校が休校となり、食品、日用必需品以外の店舗の営業も禁止された。
都市に住む人たちは商業活動ができなくなり、現金収入を失った。そもそも日々の生活に追われるその日暮らしの人が多く、また多少の経済力がある人も貯蓄する習慣がなく、今後どうやってしのいでいくのか、治安は保たれるのかと皆が心配した。また、自分たちの政府が休業手当や給付金を払うことができないのは、国民全員が知っていて、それを求める声があがることさえなかった。
ウガンダはこの経済的な困難を農業という社会基盤で乗り越えた。ウガンダでは農業人口は全体の7割を占め、隣国にも農産品を輸出するなど農業が盛んだ。ロックダウン中、この7割の人たちは収入が減っても、食べるに困ることはない。それに加え、農村が都市での生活に困窮する人たちの受け皿になった。都市人口の多くが都市での生活を諦めて、親族を頼りに農村に移動したのだ。交通機関の使用が禁止されていたため、貨物車に隠れて移動した人もいれば、何百キロも歩いて実家の農村に移動した人もいた。
ウガンダは工業化が遅れていて、多くの工業製品を輸入に依存している。政府は工業化に注力していたが、その結果は芳しいものばかりではなかった。ただ、コロナ禍においては、農業人口が減っていなかったことが幸いした。都市部と比べて貧しいとされていた農村がコロナ禍で重要な役割を果たし、ロックダウン中も都市部で食料に困ることはなかった。国家予算の多くを援助に依存するアフリカの国々は、よく脆弱という言葉で表現されるが、実際には有事に耐えることができる強い社会構造を有していることが分かった。
農村が都市部の人口を受け入れたこともアフリカの助け合い文化といえるが、農村に移動できず都市に残った人たちの間でも助け合いが行われた。都市部に残され、食料を買うこともできない人が多くいて、政府はいくどか食料配布を行ったが、何らかの理由で受け取ることができない人もいた。そのような状況の中、低所得者の多い地区では、お互い余裕がない生活が続く中、食料を分け合い困窮する状況を凌いだ。
税収の多い先進国では、国民が政府に納税して、政府が税金を元手に国民に行政サービスを提供する形で助け合いが行われるが、行政が十分機能しないアフリカの国では、国民同士が直接助け合う。ただ、基本的に苦しいもの同士のそれなので、助け合いといっても十分なものではないし、隅々まで行き届くわけではない。
「なぜアフリカは発展しないのか」という問いへの答えだが、買い被って理解するならば、潜在的に発展に伴う危険性を回避していた、発展を選択しなかったという可能性があると思う。おそらく実際のところは意図せず、そうなったのだろうが、結果アフリカは有事に強い社会構造を有していて、多少の助け合いの文化もあることが分かった、というところだろう。