アフリカ回想録2022 決まりの変更

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コロナの流行中、皆が政府の施行したコロナの規制を守ったり、守らなかったりすることがあった。コロナ流行の初期は空港も封鎖されロックダウンが施行され、見知らぬ病気に対して過敏な時期があって、皆が神経質になって規制を守った。次は、今までに経験した感染症と比べコロナは相対したことないと認識が変わり、規制を守らなくなる。そして、デルタが流行しデルタは死者も発生して、危険性が高いと分かって、また規制を守り始め、取り締まりも厳しくなり、自粛警察まで出現するが、デルタの流行が治まるとまた規制を守らなくなる。

日常的なところでは、朝の渋滞、夕方の渋滞でよく見かける光景。前の車の後ろについて渋滞にはまっている時に、その道が1車線であるにもかかわらず、右から左から追い抜きをかける車が出てくる、それに続く車が出てきて、本来1車線の道路が2車線になったり、3車線になったりする。迷惑になっている場合は注意するが、その方が効率が良いと思ったら、警官も2車線目、3車線目を利用しながら交通整備を行う。2車線目に入ることを躊躇していると、早く来るよう指導を受けることもある。

渋滞とコロナの規制のいずれも、その時々で国の法律なり規制が変わっていた訳ではない。その場に居合わせた人が、自分たちで状況を判断して、自分たちでその都度、即席で決まりを作り変えているのだ。決まりを守らないのではなくて、その時々で変えてしまう。朝令暮改のようにちゃんと作り替えるのではなく、その都度作り変える。

このように決まり事をその都度、都合良く変えてしまうことをどう思うか。行政が機能していないといえばそれまでなのだし、少しこじつけのように聞こえるかもしれないが、私はその場その時の民意が反映されているという意味において民主主義的なやり方だなと思っている。アフリカの国々の歴史の短さを考えると、行政が機能しないというのは致し方ないことで、そういう状況の中でその都度、民意で自分たちの納得できるのは合理的ややり方だろう。

それに対して、日本はとにかく決まり事が好きな国で、ブラック校則とか判子の押し方とか年上年下の上下関係とか、暗黙の了解ものを含めいろんな決まり事があって、その一部は本来手段である決まり事が目的のようになっていて、自らが不都合を被ったとしてもその決まりを守ろうとする。また、コロナの2類か5類かのような感じで、不都合があってもなかなか決まりを替えようとも変えようともしない。

勝手に都合良く変えてしまうこと、かたくなに変えようとしないこと、いずれも一長一短でどちらが良いとは限らないが、歴史が浅く行政があまり機能していないアフリカでは、変えてしまうのはそんなに悪いことだとは思わないし、そちらの方が人々の気質に合っているのだろうと思う。

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