自分の事務所で仕事をしている最中に、急に下半身が不自由な物乞いが現れて驚いた時の話をしてみる。
私がウガンダに来てまだ半年も経たない頃の出来事の話だが、1994年のカンパラは貸しビルの数がとても少なく、あっても独立当時に建てられた古いものばかりだった。その中、私の勤めていた会社の事務所は、1階に銀行がある背の高い新築のビルの4階か5階にあって、入居しているビル名を伝えると皆に羨ましがられるほどだった。
そんな環境で仕事をしていたら、かなりの速度で物乞いが私の部屋に入ってきて、お金をせがまれた。その物乞いは両足が不自由な人で、タイヤのチューブみたいなゴムを腰から巻いていて、それに座布団のように乗っかり、両腕で下半身を引きずりながら前進するのだが、上半身は筋骨隆々としていることもあり、彼は結構な速度で進むことができる。物乞いなので当然身なりは汚い。
そのような物乞いが街中の通りにいることは知っていて、その光景には多少は慣れていたのだが、それが貸しビルの中の事務所に突然現れて、結構な速度で前進してきて、私はとても驚いた。とにかく驚いたし、汚いものを見るような感じで私は彼を追い返し、お金も一銭も渡さなかった。彼は両腕を使い帰って行った。30年経った今でも酷いことをしてしまったと忘れることができない。
当時は911やテロ事件が起きる前の平和な時代で、今のように警備が厳しくなかったとはいえ、ビルの入り口には警備員がいたし、私のいる部屋の前にはウガンダ人社員が働く部屋もあった。今では考えにくいことだが、皆が物乞いの彼が私に部屋に入ってくることを容認していたのだ。
そんなことがあり、街中に身体障がい者がいると、彼らを観察するようになったのだが、それなりの人数の身体障がい者が街中で普通に生活していることに気付いた。例外もあったが、殆どの人は身なりが良くなく経済的には厳しそうだった。社会保障のない背景もあり、何らかの仕事をしている人も多いことも分かった。
地元の人に聞いてみたところ、彼らが恋愛や婚姻の対象として選ばれることは殆どないのだと言っていた。確かに、社会的に低く見られているのだろうなと思える行為も多々見かけられるのだが、階段を登るのに困っている人がいたら、脇を支えて一緒に階段を上ってくれる人がいたり、乗り合いバスに乗り込むのに困っている人がいたら、左右から助けの手が伸びてきて、バスに乗せてあげる人がいたり、そういう行為も多く見られた。
社会に身体が不自由な人がいるのは自然なことで、そういう人がいたら健常者は手伝うのが当たり前で、不自由な人は手伝ってもらうのが当たり前という文化があることが分かった。手伝ってもらった方も、さほど感謝することもなく、当たり前のような顔をしている。
当時、街の中心部にある信号の周辺で物乞いをする有名な男性がいて、彼は下半身が不自由なのだが、とても積極的な性格で、信号待ちの人たちからよく稼いでいるようだった。街中の人は、彼は日中に物乞いで稼いだお金は夜に全て博打に費やす、女好きだなど噂していたが、皆が彼を好意的にみているようだった。
社会保障がないため、それぞれ生活は厳しいのだろうが、彼らの社会的な立ち位置は日本のそれとは異なるもので、対等に扱われているところにおいては、ウガンダの方が好ましいのではとも思った。本当のところは本人に聞いてみないと分からないが。
下記は最近見付けたアフリカのYouTuberのアカウントだ。同じメンバーで毎回短編のコメディーをアップしている。メンバーの一人が小人症なのだが、いつも対等にやり合っていて、ストーリーの根底にも優しさが感じられ、気に入っている。よかったら、ぜひ観てみていただきたい。
https://www.youtube.com/c/EmiZickovic