頑張らないという生き方の選択

Pocket

仕事でジブチという国に行ってきた。上の写真は移動中にスマホで撮影した写真だ。

 

ジブチに行くのは、今回が2回目だが、ある商取引でジブチとは長らく付き合いがあった。全体的に商売っ気のない国で、商業的に捉えると人々に愛嬌というか愛想というかやる気がない。アフリカのいろいろな国に行ったが、この国はこの点においてずば抜けているように思う。商取引において、彼らに困らされたのは一度や二度の話しではない。ただ、それらは彼らの元来の生き方であって、それが嫌であれば、私がジブチに行かなければ良いだけの話しだ。

 

で、上記の写真の風景を見て思ったことを少し書いてみようと思う。

 

これは、ジブチの首都からアッサル湖という塩湖にいく道中の風景で、時々遊牧民の集落がある。集落はどれも移動式のもので、彼らは定住をしない。家畜を連れて、年中移動を続ける。今回は12月だったので日中の最高気温は30度ほどだったが、前回は8月で最高気温が45度もあり、体調を維持するのにお昼寝を欠かせないほどだった。私にはエアコン付きのホテルのベッドの上で休むという選択肢があったが、移動を続ける遊牧民の彼らには木陰という選択肢さえあまりない筈で、彼らはどうやってこの地で生き延びてきたのだろうなど、移動中に車の中でいろいろ考えた。

 

おそらく節約型の生き方がこの地には適していて、生産を増やすよりはあまり消費をせずに、さほど頑張らず、よく休むというのが、彼らが培ってきた生き残りの方法だったのではないだろうか。赤道から遠い高緯度の地域は冬があるので、どこかで頑張らないと冬を越すことができず、頑張って生産を増やすことが生き残りの方法だったと考えると、全く逆の方向性で人々が命をつないできたといえる。

 

ジブチという環境はアフリカの中でも少し特殊で、アフリカには緑豊かな森の多い国も多々存在しているので、この考え方を全てのアフリカに適応するのはいかがかと思うが、農業での生産力を考慮しても、節約型というのはアフリカ全体の根底に通ずる行き方の戦略であったように思う。当地に長らく住み、雇用、取り引き相手、顧客、下請け業者など、いろんな形でいろんな人と接してきたが、節約型の生き方というのはかなり多くの人に当て嵌まると思う。

 

アフリカも貨幣社会になり、衣食住での消費量も増えてきて、だんだんと今まで通りの節約型では通用しなくなってきているのも事実だ。私は雇用を通して、多くのウガンダ人に頑張るよう、生産するよう促すことが多いのだが、あくまでもそれは彼ら個人の選択肢のひとつであって、それを希望しない人たちは頑張らなくて良いと思っているし、頑張らないという節約型の生き方は、彼らが長年に渡って培ってきた生き残りの戦略であり知恵なので、これからもそう生き方は彼らの選択肢の一つに常にあるべきだと思う。

 

一緒に仕事をしていると、直ぐ疲れただの直ぐ休むだの腹が立つことも多いが、意識的にか無意識的にか彼らは祖先が培ってきた生き残りの方法を実行しているのだろう。今、日本を含め世界中で多くを生産し、多くを消費することが美徳とされ、また、それをアフリカにも導入しようとする流れがあり、それを止めることはもはやできないだろう。

 

ただ、大量生産大量消費がこの節約型の生き方よりも優れているとか普遍的であるという根拠はどこにもなく、気候の変動などちょっとした変化で、いつか将来このアフリカの節約型の生き方の方が有利となり、節約型が世界に推奨される時代が来る可能性は十分にある。アフリカに変化をもたらすことに一生懸命な人たちが多い中、この節約型の生き方という選択肢はちゃんと残していかないと、人類の培ってきた知恵が消えてしまうようにも思う。

 

と、移動中に風景を見ながら、だらだらと考えていた。

 

備考:

最後に、頑張らない、生産が少ないというのは、あくまでも日本に育った私の考えで、地元の人からすると十分頑張っているというだろう、と思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA