アフリカ社会の「建前」と「本音」 言語編2

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前回、「建前」の英語、「本音」の現地語と書いたが、今回はその英語を更に分けてみようと思う。

言語は、その言葉の国や地域の文化を背負っている。だから、ある特定の言語で話すときにその言語のもつ文化を無視することはできず、その国または地域の文化や文脈において会話をすることになる。

英国の影響が強く反映され、その文化を背負ったものを「白人英語」とする。それに対して、本来の英語的な文脈を完全に無視し、あくまでも通信の道具としての英語「ウガンダ英語」とする。基本的に現地語の直訳的な使われ方をする。他部族の人と話す時に有効な言語だ。お互いのいずれかの言語ではなく、全く違う大陸の言語を使ったほうが、公平性が保てるからだ。

その言葉のもつ文化も受け入れるのが「白人英語」で、あくまでも通信の道具としてで、文化は受け入れないのが「ウガンダ英語」である。

文化を背負った「白人英語」を話す人たち、話そうとする人たち。しかし、言語の習得に必死になるあまりそうなった人たちばかりではないようだ。自分の文化に誇りを持つことができず、そこから脱出する手段として、そうすることを選択した人たちも多く存在するように思う。アフリカの歴史を辿ると、他人種の侵入、奴隷貿易、植民地化(ウガンダは保護領としての統治)、独立後の経済的な破綻、慢性的な援助の受け入れなど、確かに誇りを持つのがなかなか難しい背景がある。

その反面、彼らの第一言語の訛りを隠すことなく「ウガンダ英語」を堂々と話す人たちもいる。発音は完全に部族語のそれで、英語本来の文脈は無視し、あくまでも通信の道具として英語を使う。彼らは、国際会議に出席した場合も、必ず「ウガンダ英語」で話す。

「ウガンダ英語」は「本音」を外国語で表現する道具として「本音」として残るが、「白人英語」は「建前」として話していたものが、果たして本当に「本音」になっているのだろうか。

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