アフリカ社会の「建前」と「本音」 法律編

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前回、ウガンダという国家の形成は、自らの選択したものではなかったことについて書いたが、今回は法律に関して。

ウガンダにはウガンダの法律がある。しかし、それは自らの手で書かれたものではない。これだけ多くの部族と言語がある中、全ての人達に支持されるものを作るのは不可能に近いだろうから、外部から持ち込んだ法律を全国民に公平に適応したことには、それなりのメリットもあったのだろう。

しかし、自らの手で決められなかった社会の決まりが受け入れられるか、施行できるかは別問題だ。

ウガンダには独自の文字がなかったため、明文化された法律や決まりごとはなかった筈だ。問題が起きれば、村長など自分の所属する社会単位の「長」に相談して、解決を試みていた。現在でも警察に届けずに、先ずは村長なりその地域の「長」に揉め事を持ち込み、喧々諤々とそれぞれの主張を述べ、「長」が調停案を提案する。「チェアマンに相談に行こう。」というのは、今でもウガンダでよく耳にするフレーズだ。

大きな犯罪など内容が深刻な場合は、調停では済まれないので、警察や裁判所に行くとことが決められる。その原因は、警察や裁判所が信頼されていないからだけではない。その方が、その地域の文化やルールに基づいた、より皆が納得できる調停が期待できるからだ。

小さな揉め事は、地元の文化に基づいて、自らの社会の独自のルール「本音」で話し合いで決めて、大きな事件は地元社会のしがらみのない「建前」の法律で対処する。

一見理想的に見えるシステムだが、だんだんと機能しなくなっているように思う。都市には複数の部族が同じ地域に同居しているため、共有する文化やルールがない。また、都市以外でも、独自の文化が薄れてきており、世代が変わると共有するものが少なくなってきているからだ。

また、法律は元来自らが望んだものではないため、施行の意志が薄く、且つ満足のいかない結果に陥ることも多い。法の施行能力も低い。

この点においては、「本音」がだんだん通用しなくなりつつあるようなので、「建前」への依存がより高まることになるだろう。

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