
ダーカス・インジクルは、2005年の世界陸上のヘルシンキ大会の3千メートル障害での金メダリストです。走り終わった後、両膝を地につけて両手をVの字に広げて天を仰いで喜びを表現する写真には、当時強い感動を覚えました。
陸上選手のような寡黙さはなく、走っている時も楽しそうで、優勝した後も喜び方があっけらかんとしていて、普通のアフリカの村にいる女の子が走るのが好きで、世界大会でも優勝しちゃうんだけど、本質的なところは村の可愛い子そのまま、そんな感じでした。
その後、結婚して出産もして、もう陸上を止めたのかと思っていたら、ハーフマラソンに出て優勝してみたり、良く分からない人です。映像を見る限り、ちょっと天然系の人のようですが。
彼女の口述をまとめた記事が新聞に記載されとても面白かったので、全訳してみました。この記者さんもちょっと天然系でしょうか。ウガンダ人がウガンダ人を取材するとこうなるのかなという感じですが、ウガンダ人視点というか地元紙ならではの内容となっています。基本的には、女の子の駄々話みたいなのですが、どうでも良いようなことがたくさん書いてあり、結構笑えます。
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サンデービジョン紙 2011年1月23日
“お肉をよく盗みました”
国際アスリート ダーカス・インジクル
私は、1982年2月2日に、アルア県ブラ郡オカザラ村で、ジョイス・イリマルとジョンソン・ルルアの間に生まれました。市場に行く途中で母の陣痛が始まり、道端で生まれました。女4人、男8人の12人兄弟の上から4番目です。4人の兄と弟は既に死んでいます。
私の両親は牧師だったため、引越し続きでした。それで、私は小学校だけで7校にもいったのでした。
家にはいつもお客さんがいました。日曜ごとに、お祈りの後で昼食に来る人がいて、遅くまでいました。父は、いつも家にいて、皆の相談に乗ったり、コーラスの練習をしていました。私も教会に行くようになり、ユース・リーダーになりました。よくお祈りをしました。狩に行く前、朝5時半のお祈りから1日が始まります。私はウサギを追うのが上手だったので、皆私と狩に行きたがりました。父はよくレイヨウ類を捕まえました。
家では、お肉に事欠くことがありませんでしたが、私は壺からよくお肉を盗みました。だから皆が家にいるんだと思っていました。
休む時間はありませんでした。狩が終ると、牛をどこかへ草を食べさせに連れて行きます。家に戻ると、台所でお母さんの手伝いです。私は一生懸命でよく言うことを聞く子供でした。同年代の友達と一緒にお祈りに行く時間はありませんでした。からかわれることがあると、その子をやっつけてやりました。私は男勝りな性格で、男の子が嫌いでした。彼らも私を怖がっていました。私のあだ名は「ハイウェイポリス」でした。男の子とは仲良くしないので、おばさんたちは私は結婚することはないだろうと思っていました。ひとつ子供の頃好きだったのは、木登りでした。お兄ちゃんがいなくなると、木に登ってマンゴをとりました。
人の家にいくのが大嫌いだったのですが、それは私は紅茶に砂糖をたっぷり入れたいのに、皆が制限しようとするからでした。私は気難しいところがあって、例えば、牛乳が好きでなかったり、汚いところにいるのが嫌いだったり。今でも、食事をくれたのが汚らしい人だったりすると、その食事には手を付けません。
小さな頃の夢は、パイロットになることでしたが、白衣を着た医者にも憧れていました。なので、私は、病院に行って医者が働く様子を見るのが好きでした。
私は初等教育の過程を、オカザラ小学校で終えました。この学校が私の走る才能を現実のものにしました。ある運動会の日、私は長距離走を走り、勝者に台頭しました。体育の先生は、ブシェニィ県での大会にも私を連れて行くことを決定し、そこでも一番になりました。そこでソーダをもらいましたが、嫌がって飲みませんでした。ソーダを見るのが生まれて初めてだったからです。私は、ソーダはアルコール飲料かと思いました。2回目に勧められた時は、それを飲んでげっぷしました。
1998年に、私は初等教育を終え、マケレレカレッジという中学校に奨学生として入学しました。私は読み書きができませんでした。そんな時間がなかったからです。私はいつも教室の外に呼ばれ、トレーニングの合宿に行きました。走るのが得意だったので、学問は諦めました。私は、走って賞金を稼ぐ世界旅行を始めました。2001年、少しお金がたまったので、学校に戻りマケレレ大学ビジネス校で運営の修了書をとりました。
両親は、いつでも皆に公平であることと愛することを、教えてくれました。その結果、私は社交性を身に着けました。私はいつも幸せです。悲しむことはあまりありません。
子供の頃の一番辛い思い出は、4人の兄と弟を亡くしたことです。友達で、皆好きで、私のことを守ってくれました。今は、もう誰もいません。家が退屈になりました。狩もつまらなくなりました。動物を見付けるのも追いかけるのも、私一人になったからです。乗っていたバスをジョセフ・コニーのゲリラ(神の抵抗軍)に襲撃された時は、20分以上も片足で立たされました。
キャロル・カスッジャへの口述より。