昨年11月にエチオピアに行って、強い感銘を受けたが、私なりに考えをまとめてみた。
先ず、エチオピア人は他のアフリカでは考えられないほどの誇りを持っていて、堂々と自国の歴史を話す。これは、日本人にもウガンダ人にもできない。その理由は何なのかを考えていた。
一番大きな理由は、エチオピアが戦勝国であるということだと思う。エチオピアは、数年間イタリアに国を占拠されたことがあるが、最終的には自力でイタリアを追い出し、戦争に勝利している。それ故に、最終的にエチオピアは戦勝国で、自国の方針を他者に委ねることはなかった。当然、自国の教育も自分たちで決められるのだろう。
一方、日本や他のアフリカの国は敗戦国だ。日本は第二次世界大戦に敗れ、ウガンダは植民地化の過程で敗れたと言ってよい。官軍に国を支配され、国の制度、法律、教育内容も戦勝国に押し付けられた。
欧米がそうしているように、日本も自国の戦争への関与を正当化することはいくらでもできるだろうし、実際良かった部分も多くある筈だ。ただ、戦勝国による教育方針でそれは許されず、日本は悪であったと自らを否定することを、子供の頃から教え込まれる。
アフリカは、文明化という論理に基づいて、元来の文化は全て否定され、社会制度も壊され、自分たちは劣った貧しい民族だと教え込まれた。現在の社会形態や法律は、ヨーロッパの宗主国が作り上げたもので、学校教育も西洋教育の内容になっている。
自己を否定する自虐的な教育を受けている点は、日本も殆どのアフリカの国と何ら変わりはない。それを、英語で教えるか、日本語で教えるかの違いだけだ。外国語で教わるのなら、自分の軸を自国語での思考において保ち続けるという芸当もあるのだろうが、日本ではそれもできない。
靖国神社参拝に反対する日本人も多いところをみると、戦勝国の負の教育は大成功しているのだろう。常に自己を否定する国民性。敗戦国は惨めだなとつくづくと思う。現代日本人の思考がどれだけ異常なのか、どうやったら日本人に分かってもらえるのだろうか。
あとは、信仰だろうか。戦後の日本は仏教も神道も信じられなくなり、アフリカは一神教が輸入され、祖先からの文化と自らの関係を断ってしまった。
それに対して、エチオピアは3千年の歴史に直結していて、自分がそこに属している自意識を持っている。心の拠り所という点で、この違いは大きいと思う。拠り所を失った結果が、現在の日本やアフリカの拝金的価値観なのだろうか。
元気のない日本、紛争の多いアフリカ、見ていて悲観的になることが多いが、エチオピアの社会を見て、ますますその思いが強くなった。