野茂英雄は長い間私のヒーローだった。彼は、海外に行って、成功し、結果を残したからだ。
私は94年にウガンダに来て貿易会社の駐在員を始めた。その翌年95年に野茂が大リーグに挑戦して渡米する。子供の頃から三振を取るピッチャーが好きで、野茂は近鉄時代から好きだった。そして、次元が全く違うものの、同じく海外で働くものとして野茂を凄く意識し、彼の活躍に感動した。当時、私は21歳で、自分がこれからどういう人生を歩むのか、そうやって夢を膨らましていた。
日本では海外で働いている邦人を持て囃すことが多いが、私はその傾向を少し軽視している。驚かれている点が、言語や住んでいる環境や文化に関してだからだ。言葉なんて、そこに住んでいる人は皆話しているわけで、住めば話せるようになるに決まっている。環境だって、そこに住んでいる人は全員条件なく受け入れているからだ。そこに適応して住むなんて、通過地点どころか、スタート地点以下の話である。大事なのは、そこに何をしに行ったのか、そこでどんな結果を残したかだ。
野茂は、言語制限のないスポーツの世界で、多くの競争に勝ち大リーグでエース・ピッチャーになった。大リーグに挑戦して、お茶を濁して帰ってきたのではない。大リーグを代表するピッチャーになったのだ。それに、あのボールの投げ方がたまらなく格好良い。体を捻りまくって、ズバーンと投げる、あのフォーム。真似したら、足首を捻挫してこけて背中から倒れそうな、あのフォーム。
大リーグで野球がしたいからと、近鉄に辞表をだして、渡米して入団交渉を始める。今の選手のように、チーム間で交渉が行われ、就職先が決まってから渡米したのではない。勝手に日本の会社を辞めて、アメリカの会社と雇用の交渉を始めたのだ。アメリカで野球ができる保証も、また日本で野球ができる保証もないままの渡米。結果、マイナー契約となり、1億円以上もらっていた年俸が1千万円に下がったらしい。そんな危険を顧みない、夢を追い求める彼に行き方に強く感銘を受けた。
そんな無茶な生き方をして、しっかり結果も残す。やはり、野茂は格好良い。