1984年ガンダ王国が英国の保護領となり、1986年にブニョロ、トロ、アンコレ、ブソガも英国の保護領となる。同時期に、ヨーロッパにてベルリン会議が開かれ、アフリカをどう分割するかが話し合われ、地元民の意見は反映されないまま、地図上に線が引かれていった。そして、ウガンダは他のアフリカ同様独立運動を経て、1962年に国家として独立する。
独立を希望したウガンダ人。しかし、独立した「ウガンダ」自体を形成したのは、本人たちではない。独立の主な目的は自由の獲得や宗主国から解放であって、社会の単位としても国家を持つことではなかったように思う。自己の帰属心や文化はそれぞれの部族や王国にあるが、国家として独立したことで、ウガンダは二重社会になった。「建前」としての国家と、「本音」の部族と王国。
殆どのウガンダ人は国家を否定しないが、同時にウガンダ人としての個人やそれぞれの部族が「ウガンダ」として一枚岩には絶対になれないと思っている。自らが望んで形成した社会単位、自らが望んだ構成ではないのだから、当然の話だ。統一国家としての長い歴史をもつ、日本で行われた平成の大合併の過程を見れば、良く理解できると思う。
カンパラ周辺のガンダ人は連邦制を求めているが、ガンダ人を含めた殆どのウガンダ人は、国家を廃止する、国家を分断するというような選択はきっとしないと思う。経済や法・行政の単位として「国家」が存在し、自己の文化や帰属心は「部族」や「王国」にある。この、「建前」と「本音」が平行して存在する社会を選択しているのだろう。
果たして、これが機能するのかどうか。近い将来、その結果が歴史の一項に記されることになる。