1994年、当時ウガンダに東洋人はあまりいませんでした。アミン政権で追い出されたインド人が、ぼちぼち帰還を始めた頃で、インド人も今ほどは多くなかったです。
当時、ウガンダの日本人会を始めようと集まったことがあったが、来たのは15名もいなかったと思います。家族を入れて、全体で30名くらいはいたのでしょうか。日本国大使館もウガンダにはなく、パスポートの書き換えとかはケニアにある大使館でやってもらっていました。
中国人もまだまだ少なくて、街中で顔を合わせることも殆どありませんでした。月に一回とか、週に一回とかの頻度でしたので、東洋人に会うととても珍しいものに出会ったような気がしたものです。
それが今では、日本人だけで270名もいて、中国人はその2-30倍いるらしいです。中国人は違法滞在者も多いので、彼ら自身滞在者数が分からないといいます。最近の中国人のアフリカ進出は凄まじいものがあります。工事現場では、現場監督、トラックの運転手、つるはしを下げている人、中国人ばかりだったりしますし、衣料品をカンパラで販売する人もたくさんいます。また、外国人は絶対に来ないだろう地方都市の市場で普通に服とか靴とかを売っている人もいて、驚かされます。
残念ながら、日本の民間企業の進出の兆しは殆どありません。商売に関しては、日本人より中国人のほうが長けているようです。
もはや、ウガンダで東洋人に出会うことは、全く珍しいことではなくなりました。
ウガンダでの取材や撮影のコーディネートは和田篤志まで。
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