ウガンダの認識 貧困

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今回は、アフリカでよく使われる「貧困」という言葉について。

上記は、1930年代にウガンダで撮影された写真だが、この当時のウガンダ人は自分たちが「貧困」の状態にあると思っていただろうか。未だ、学校も病院も通貨もなかったこの頃にも、社会の中で貧富の差はあっただろう。しかし、現在のように、社会の全体・全員が自らを貧しいと思ってはいなかったのではないか。

では、なぜウガンダ人は皆が皆、自分は「貧しい」と思うようになったのだろうか。それは、外国人に、あなたたちは「貧しい」と刷り込まれたからだと思う。

学校に行けないから、病院に行けないから、服が着れないから、現金収入が少ないから、だからウガンダ人は「貧しい」とされる。もともと、学校がなかった、病院もなかった、服もなかった、通貨もなかった人たちに対して、言うべき言葉だろうかと思う。

私は今まで何十人ものウガンダ人を雇用してきたが、彼らにはいわゆる根性がない。たくさん働けばその分たくさん報酬がもらえる場合でも、たくさん働こうとしない、そういう人が殆どだ。楽して稼ごうとはするが、頑張って稼ごうという人はとても少ない。なので、社会としての生産はあまり増えず、金銭的にはあまり豊かにはならない。そういう性格の人たちに向かって、貧困削減というのもどうだろうか。

都会に住み現金収入がないと生活のできない人たちが増えているものの、今でも自給自足でのんびりとした生活をしている人たちの方が圧倒的に多い。それで、食べていけるので賃労働にしがみつく必要がない、それはとても幸せなことだと思う。なので、私は世界が騒ぎ立てるほどウガンダは「貧困」の状態にないと認識している。

生まれた時から自宅にそれがあった人たちはそれがないと不便に思うが、もともとそれがなかった人たちはそれがなくても、その前提で生活をしているから、さほど不便には感じない。しかし、そこに外国人がやってきて、それがないからあなたたちは「貧しい」と言う。言われたほうは、自分たちはそれがないから「貧しい」と信じ込む。人に向かって「貧しい」と言うのは失礼なだけでなく、悪影響がとても大きいと思う。「貧しい」から「もらえる」と思うようになるのが、その最たる例だ。

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