アフリカの経済大国、南アフリカの人たちは、黒人も白人も良く働く。どちらをとっても、ウガンダにいる人たちより働く。
人口比率、歴史、いろいろ違いがあるのかと思うが、南アの白人は一般的な仕事をする。ウェイトレス、ホテルの受け付け、スーパーや衣料品店の店員などなど、白人がそういう職についている。それに対して、ウガンダではそのような職に就く白人は殆どいない。小売業に直に携わる外国人といえば、インド系がいる程度だ。ウガンダの白人は、一般的に会社のオーナーであり、マネージャー・クラスであることが殆どだ。
南アフリカで働く白人のサービスを見て思ったのだが、そのレベルはそこそこ高い。日本のそれにはかなわないが、ウガンダに長く住む私には十分快適なサービスだった。
口で教えるのではなく、誰かがそれをやって見せる、職業訓練という意味ではこれが一番だと思う。残念ながら、ウガンダにはそういう意味で手本になる外国人がいない、というか極めて少ない。外国人は、オーナーでありマネージャーなので、実務をやって見せるということがない。
では、目の前に手本が多くいる南アフリカの黒人の提供するサービスの質はどうだろう。ウガンダ人のそれよりは、明らかにレベルが高いと思える人がかなり存在する。しかし、白人のそれよりは落ちる。アパルトヘイト時代の黒人の受けた教育レベルを加味する必要があるのだろうが、やはり異質なもののように思う。
こうやって彼らが共存する社会を見て、根っこの部分というか、本質的なところでやはり異質なのだと改めてと感じた。人種的な優劣や善悪の意味ではなく、一人一人の個人や持っている文化がやっぱり違う。歴史から何から違うのだから当然ではあるが、日本人がアジアの隣国人を異質と感じる意識より、その隔たりはもっと大きいと思う。
ここから少し蛇足
そこで思ったのだが、これだけ根っこの部分が違う人たちなのだから、それぞれに適している社会形態というのも自ずから異なるものになるのではと。アパルトヘイトを肯定する訳でも、ひとつの社会を一緒に作れないという意味でもない。今、アフリカの国が民主化、近代化への道を進もうとするのを見ていると、社会の現状に適していないひずみも多くあり、無理して人に合わせてそんな方向に進まなくても良いのにと思うことが少なくない。早く、彼らの最善と思える社会形態が見付かれば良いのになと思う。