前回、書けないので現実逃避をしようと書きましたが、皆様のご声援のお陰で、移動中の機内で仕上げて日本滞在中に提出することが出来ました。採用が正式に決定になったら、またお知らせします。
与えられた題材に見合わないと、今回は何度か書き直しをやりました。下記は没になったものですが、せっかく書いたので、誰かに読んでもらおうと思い、ここにアップします。
ブログにしては、ちょっと長くて最後まで読むのが大変かもしれませんが。
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「豊かで幸せなウガンダの人たち」 和田篤志
ウガンダで民間会社を経営している私は、多くのウガンダ人を雇用してきた。彼らの多くは賃労働の意識が低く、日本人のような「働く」という概念にかける。そんな彼らを厳しく育てようとすると、直ぐに会社を辞めてしまうので、技術やサービスを積み重ねてもらい、人材を育てていくということがとても難しい。
さほど裕福ではない彼らが、なぜもこうあっさりと職を捨ててしまうのか、不思議に思っていたが、自分が働かなくても食べるのには苦労をしないということが背景にあるようだ。
アフリカというと、飢餓のイメージを持つ日本人が多いと思うが、ウガンダはそれとは無関係と言っても良いほどだと思う。ウガンダは国土の左右を大地溝帯に挟まれており、東西から上手く水が流れ込むようになっていて、その大きな水溜りがビクトリア湖といえる。更に、ビクトリア湖から流れ出すナイル川はウガンダの国土を通過しているため、下流に住む人たちは年間を通して安定した農業用水が得られる。それ以外にも、東はエルゴン山から流れ出す水がキョガ湖に流れ込み、西はルウェンゾリ山地から流れ出だす川が一部コンゴを通過して、アルバート湖に流れ込む。
このように、ウガンダには多くの水源があり、国土の3分の1を湖や川が占めている。地域差はあるが、エンテベの例をとると、雨季で平均200mm、乾季で100mmくらいの安定した降雨量があり、ウガンダは農業にとても適しているといえる。
ウガンダの民族は、コンゴから移住してきたバンツー系の民族、南スーダンからのナイル・オート系、南エチオピアからのナイル・ハミツ系と、大きく三つに分けられるが、その多くは、この豊かな土地を求めて、現在のウガンダになる地域に移り住んできたのではないだろうか。また、ウガンダは、植民地化されなかった数少ないアフリカの国のひとつだが、宗主国が間接統治できるほどの社会が存在していたことが背景にある。農業に適した土地を有するため、農耕にかける時間が比較的少なかったのが、王国などの社会を形成する余裕につながったのではないかと思う。
独立後、20年近くも不安定な状態が続き、特にアミン政権においては、多くの国から経済制裁を受けて、街から物資が消え、お店には石鹸やパンもない状態に陥り、その後も、ムセベニ大統領が現政権を勝ち取るまでのゲリラ戦争が続く。このように、ウガンダの経済は一度破綻してしまった訳だが、この間でもウガンダでは飢餓者が出なかったと聞く。内戦の激戦地区に住む老人の話では、雨季の始まりの時期にサツマイモを植えて、戦況の様子を見ながら、それを雨季の終わりに収穫して食べて、家畜を潰せば、肉だけでなく皮まで食べたが、幸い飢餓者はでなかったという。当時、その地区には援助物資が届かなかったため、全て自力にまかなったというから驚きである。しかも、その背後では現政権となるゲリラ・グループまで支えていたということだった。
このように、農業に適した土地を有し、食に困ることのなかったウガンダの人たちだが、そんな恵まれた環境に育ったが故に、頑張るということが苦手なようだ。また、協力するということも苦手な人が多い。
頑張らない、協力しない、あまり良い印象を持たれない方が多いかも知れないが、頑張らず、協力もせず、それでも人が生きていけるなら、それは本来とても幸せなことなのだと思う。なので、私がウガンダ人を見込んで厳しく育てようとしても、彼らは私の教育がなくとも十分食べていけるので、真剣に取り組もうとはしないし、私の教育が彼らの気分を害せば直ぐに辞めてしまう。要するに、私の教育を必要としていない。それは、彼らの文化であり、価値観なので、私にはどうすることもできない。協力しないと書いたが、家族内での絆は強く、稼ぎのある人が稼ぎのない人を食べさせるような文化が残っていて、それが彼らの失業保険のようになっている。
しかし、アフリカの社会は大きく変わっている。現在は、子供の学費、医療費、洋服代、都会に住む人なら、家賃、電気代、水道代、食費など、現金なしには生活がままならないようになってきた。なので、皆が現金収入を求めて、あまり得意ではなかった「頑張る」ということをやるようになってきた。賃労働という概念がないのと、やはり「頑張る」ということは彼らには苦痛なようで、なかなか上手くいかない。頑張らずに、収入を得ようとする人も多い。
また、人口の急増も社会に大きな変化をもたらしている。ウガンダが独立した1962年の人口は830万人だったが、それが2008年には3,300万人まで増えた。半世紀ほどで、人口が4倍にまで急増し、現在は人口の50%が15歳以下という現状にある。これだけの扶養家族を支えるのは、当然楽なことではない。しかも、社会が貨幣社会に変わってしまい、ウガンダ人は皆が余裕なく現金収入に四苦八苦している状態にあるように感じる。
今までは、あまり頑張らずに生きてこられたウガンダ人だが、人口の急増や貨幣社会に対応するべく、もっともっと頑張っていくことになるのかと思う。