ルワンダの虐殺、ウガンダの神の抵抗軍、南スーダンの独立戦争、ケニアでの大統領選に絡む虐殺、コンゴ共和国で長期化するゲリラ活動、現在解決済みになっているものもあるが、アフリカでは国内の揉め事が多く、国が上手く機能していないのは否めない。
なぜアフリカ人には愛国心がないのか、なぜ国のため頑張ることができないのか、戦争や汚職がなくならないのか、ウガンダにくる日本人から度々質問を受ける。
因果といって、このような結果に至ったには、必ず原因がある筈で、その最大のものはアフリカを分断したベルリン会議だと思う。1884年に始まるこの会議で、アフリカの現状の大半は既に決まっていたのかもしれない。
産業革命に発する労働人口不足を補うべく、アフリカでは奴隷貿易が全盛期を迎え、その後アフリカは植民地化としての対象となる。そして、如何にアフリカを分断し植民地化するかが、欧米によってベルリン会議で決められた。この会議で決められた国境線をもとに、現在のアフリカの国々は成り立っている。
ここで重要なのは、「誰」が「何」の目的で国を作ったかだ。
「第三者(欧米)」が「植民」の目的で作った現行のアフリカの国々は、その後「独立」する。「当事者(アフリカ人)」が「自治」の目的で、「第三者」が「植民」の目的で作った枠組みを引き継いだ。「当事者」の都合を無視して、「第三者」の都合や利害関係で、「植民」を目的に、「第三者」が統治しやすいように作られた社会枠は、果たして「当事者」が「自治」をするのに適しているだろうか。アフリカではそうではないと思う。
先ず社会のサイズが大き過ぎるし、次に社会の構成が複雑過ぎる。アフリカの国々の現状がそれを明確に示していると思う。通信技術など一切なかった当時のアフリカで、自らの意思は全く考慮されず、見たことも聞いたこともなかった人たちとひとつの社会を作らされた。
その「第三者」によって作られた社会の枠組みを引き継ぎ、自らが時には被害者に時には加害者になっていく。このいずれもが、望まぬ社会に組み込まれた構成員であり、それぞれが犠牲者である。
現在、アフリカを良くしようと多くの外国人がアフリカに来ているが、その殆どはこのボタンのかけ間違いの延長上での改善を試みているように見える。そもそもなぜこのような現状に至ったかという根本的な原因を顧みず、表面的な問題点だけを捉えるから、なかなかこの現状から抜け出すことができない。アフリカを本当に良くするなら、現行の社会枠や制度がアフリカに適しているのか、国の生い立ちのところから振り返らないといけないと思う。
この数年で、多くのアフリカの国々が独立(真の意味では植民地の枠組みの引き継ぎ)から50周年を迎えているが、本来祝福すべきことなのかどうか少し複雑な気分になる。
例外的に、南スーダンが原油という大きなアドバンテージを背景に、欧米の協力のもとに昨年独立を果たした。早速この産油国は財政難に陥っているようだが、この国の先行きが他のアフリカに与える影響は決して小さくないと思う。