
日本に限らず北半球では宗教離れの傾向が強いらしいが、アフリカは今でも宗教熱が加速するばかりだ。皆が口を揃えて、一神教の創造者としての神を信じないのであれば、自分の存在を説明できないから、信仰が必要なのだと言う。理由として成立していないが、誰かにそう教えられたのだろう。
中沢新一の言葉を借りると、「神の発明」が見事に大成功しているようにみえる。外来文化である一神教が、土着の信仰を否定しているせいか、土着信仰以外の体系化された信仰を持たないと、人に非ずという固定観念が根を深くする過程にあるように思う。
結果的ではあるが、頑なに自分の伝統文化や祖先を否定してしまうのは大変気の毒なので、世界にはもっといろんな考え方があって、ウガンダで広まりつつある一神教もその選択肢の一つでしかないというような話をすることがある。そこで、日本人である私が何を例に出すかと言えば、日本の宗教以外にありえない。そこで、私が日本以外のことを話し始めたら、私は誰からも信用されることはないと思う。
前置きが長くなったが、そういう理由で神道の本を読んでみた。とにかく、日本の神様は、個性があって、人間らしさがあって可愛らしい。宗教は信仰として生まれ、その後国教になったり、政治との関係性が出てくるが、絶対的な一神教の方が政治的には好都合なのだろう。古事記や日本書紀が書かれた経緯には、政治利用の背景があった筈だが、それにしては日本の神話はあまりにも可愛らしいお話しだと思う。しかし、それでも政治が成立したのだろうから、日本は昔から本当に平和な国だったのだろう。
アフリカで布教をしている日本の宗教団体がいくつかあるが、皆共通して言えるのが信仰の柔軟性だと思う。二つの宗教を同時に信じることも可能なので、祖先の存在も否定しない。ウガンダ人で日本の宗教に改宗した理由で、拝金的・排他的な要素がないからと聞いたこともある。
現代日本はとにかく宗教アレルギーが強く、日本の宗教を海外で布教など聞くと、多くの人が真っ向からそれを否定しようとするが、日本の宗教は海外に誇れるものが十分あるのではないか。また、日本人のような平和な人たちの思想が広がった方が、世界が平和になるのではないか。キリスト教やイスラム教がどのような形でアフリカにもたらされたかを考えると分かりやすいと思う。
などと言っている私の読んでいるのが、恥ずかしながら入門系の本なので、ちゃんと人に話せるようになるよう、もうちょっといろんな日本の宗教の勉強をしてみようと思う。