では、前回に続き、第二話。今日は、格差について。今日も、他山の石になるべく書く。
恋愛時において、遠ければ遠いほど魅力的に見えて、結婚生活において、遠ければ遠いほど苦痛に感じるのが、格差だと思う。
恋という色眼鏡がかかり、自分とは違う何かが魅力的に見えることは、恋愛においてよくあることだ。自分が持っていない何かを自分に取り入れられたような錯覚を起こす心地よさがある。また、恋愛は色眼鏡でもかからないと、なかなか夢中になれない。
その後、結婚生活が始まり、時間が経つと共に、その色眼鏡の度合いが薄れてきて、正常な透明色に戻る。徐々に何かしらの変化に気付き始め、ある日急に現実が目の前に現れる感じだろうか。多くの人は、最初何かの間違いではないかと思う。で、自分の目を何度もこすった上で、相手の実態を正視することになり、今まで光り輝いていた何かが、実は色のくすんだしょぼくれだったことに気付く。
ここで、正気に戻り、経済的格差、生活レベルの格差、マナーの格差、学力の格差、家柄の格差、言語の違い、文化の違い、宗教の違い、食事の違いなどが、色眼鏡なしの現実となり、今まで新鮮で魅力的に見えていたものが、苦痛に変わる。
いろいろな格差がある中、積もり積もって一番苦痛になるのが、知的レベルの格差だと思う。モネの絵画を見ても感想を共有できない、ニーチェの話も分かってもらえない、静かにしんみりとする雨音の魅力、一般的な歌謡曲、にんべんのつゆの素、なんで良いが、この知的レベルが違うのは、努力ではどうにもならないし、この蓄積はかなりきつい。
このような格差や違いは、日本人同士の結婚にもある。ただ、決定的に違うのが、その格差の距離で、どうにか埋め合わせることができる距離なのか、できない距離なのか、という点だ。一旦成人した人の性格が、そうそう大きく変わる訳はなく、短期間ならまだしも、結婚という長丁場で、苦痛な努力を永遠に続けるのは所詮無理な話だ。
言い換えると、恋愛時に魅力的であればあるほど、結婚には不向きということになる。恋愛の時は燃え上がればよい、ただ結婚生活で燃え続けることはできないのだ。