タンザニア 1994年 インフラ

Pocket

1994年、当時のタンザニアはムウィニ政権の末期で、社会主義時代に行き詰った経済を立ち直している最中といわれていました。

一方、ウガンダは1986年に終わった内戦からの復興の最中、9年目でした。当然、私はこの2か国を比較する訳ですが、インフラに関しては、内戦を経験しないタンザニアが大きく後れを取っていました。当時はあまり深く考えなかったものの、これは社会主義時代の経済政策の影響の大きさを意味するものだったのでしょう。

街中に、新しいビルは見当たらず、独立前後に建てられただろう古いビルばかりで、それは94年当時でも既に古めかしさを感じさせました。

水道の蛇口を捻ると、茶色の水が出てきて、バスタブに貯めなくても、コップに入れただけでも一目で分かるくらいでした。その水で髪を洗うと、プラスマイナスゼロで、汗がなくなった分、お水の茶色成分が髪に残る訳で、濁り水を髪でろ過しているような気分になりました。まだ、ミネラル・ウォーターがさほど普及していない時代だったので、その水で歯磨きもしていました。

また、電気事情も悪く、街中では通り沿いに小型の発電機が並べられ、その音がとてもうるさかったのを覚えています。

それと、当時のタンザニアは、とにかく電話が通じない国で、ウガンダからも、日本からも国際電話がつながらず、2-3日間一切電話がつながらないようなことも度々でした。当時は、まだインターネットがなく、文面でのやり取りはファックスの時代ですが、このファックスもタンザニアには、なかなか流れず、ピャーというファックス音の後で、かなり遅い速度でゆっくりと用紙が流れるものの、送信後に出てくる「OK」が表示されず、何度も送り直したのを覚えています。

その後、タンザニアにも携帯電話会社ができて、徐々に通信状況は良くなって行きました。私の記憶が間違っていなければ、モビテルというのがタンザニア最初の携帯電話会社でした。

当時、ケニア、ウガンダ、タンザニアの3か国を頻繁に移動していましたが、タンザニアに関しては、インフラの遅れが強く印象に残っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です