書くと言っておきながら、なかなか書いていなかったタンザニア。良い思い出がかなり少なく、書いていて悪口みたいな内容のものばかりになったので、どうしようかと思っていたが、それが事実なので、やはりそのまま書いてみることにした。
今回はホテル。
1994年、当時ダルエスサラームには、外国人が泊まれるようなホテルは3軒しかありませんでした。一番大きかったのはキリマンジャロ・ホテル、中では一番快適で私自身も常宿にしていたアジップ・モーテル、その近くにあったエンバシー・ホテルでした。
エンバシー・ホテルは、私がアフリカ大陸で初めて泊まったホテルでした。当時既に、オーナー同士の問題があったらしく、内装などは古びた感じがしました。何度も泊まっていませんが、中のレストランは人気があるのは、現地の人が多くいたように覚えています。このホテルは、現在建物は同じ場所に残っていますが、閉鎖になって何年も経つようです。
次は、アジップ・モーテル。ここは、私がダルエスサラームでの常宿にしていたホテルです。水道の水は濁っていて、内装も古かったのですが、掃除はちゃんとやっていて、どうにか清潔感はあるという感じでした。確か、エアコンも効きました。それと、地下のレストランがそこそこおいしかったのを覚えています。
このホテルでは、いくつか思い出があります。
若いころから洗濯が面倒な私は、ホテルのランドリー・サービスを良く使いますが、このホテルに洗濯に出したシャツをアイロンで焼き破られたことがありました。当時、私はまだ独身で高価な服を着ることも多かったのですが、1万円以上もするお気に入りのシャツを台無しにされ、若さゆえに元気もあって、ホテルの職員と大喧嘩しました。すると、ホテルの職員は、このシャツは、ダルエスサラームのxx市場で数百円で売っていると主張し、更に炎上したのと覚えています。
次、このホテルの通信事情。前回書いたファックスのオペレーターは、ここでは大体常時いてくれて不便しなかったのですが、国際電話は自分で部屋からかけることができず、電話のオペレーターに国番号から電話番号を伝えて、国際電話をオペレーターにかけてもらうというものでした。
部屋からオペレーターに電話をして、番号を伝え、かけてもらい、アナログ回線なので、ダイヤルを回す(実際に回していた、押してはいない)度に、カラカラカラ、コロコロコロ、カラカラカラ、コロコロコロ、という電話を掛ける音がします。間違え電話をされては困るので、このカラカラカラ・コロコロコロの回数を数えて、番号が間違っていないかの確認をしました。カラカラの回数が違うと、ちょっと多かった・少なかったが、間違っていなかったかと確認します。
その後、電話を掛けた先が電話に出て、日本からの声が聞こえてきて、オペレーターが自分の受話器を置く音がして、日本との会話を始めるという流れです。
一度、カラカラカラ・コロコロコロが終わって、先方の呼び出し音が鳴ったのですが、日本式のルルルルルではなくて、ヨーロッパ式のようなブーブー音だったので、かけ間違いではないかと尋ねてみたところ、ブーブー音は内部回線からの音で、先方での呼び出し音ではないと、ひどく叱咤されました。声の感じからして、私はおばちゃんから叱咤されたのですが、なぜ怒られたのか、未だにあの不条理を忘れることができません。
他にも、一度だけ部屋から現金の盗難があったなど、思い出の多いホテルです。それと、入り口にいる絵画売りから絵を時々買ったのも覚えています。到着日に交渉すると、安くしてくれないのですが、出発日にチェックアウトを済ませ、空港に行く素振りを見せると安くしてくれました。
このホテルも、現在建物はそのまま残っているものの、営業はしていません。
最後に、キリマンジャロ・ホテルは、当時ダルエスサラームで一番大きなホテルで、部屋数も多かったものの、部屋の老朽化が激しくあまり使いませんでした。ファックスのオペレーターでよく揉めたのは、このホテルです。
最上階のレストランは、湾の眺めがきれいで、食事もまあまあおいしく、時々行きました。ただ、問題はエレベーターで、ガクガクとショックが大きく、いつ墜落するのではと心配しつつも、最上階まで階段はつらいので、エレベーターを使っていました。
70年代に、このホテルに泊まられた方からお話を聞いたのですが、当時は物資不足がひどく、チェックインの際に、1泊50センチみたいな感じで、長さを測ってトイレットペーパーが手渡されたとのことでした。また、フォークやナイフの数も足りなくて、あんまりゆっくり食事をしていると、隣のテーブルのお客さんが食事ができないので、次の方は早く使えるように、手早く食事を済ませるようにしていたとのこと。
また、お風呂の栓も足りなかったようで、夜に部屋のドアをノックされて、職員からお風呂は済んだか、栓を貸してくれというようなこともあったらしいです。
キリマンジャロ・ホテルは、現在オーナーも名前も変わり、高級ホテルになっています。
で、90年代の終わりの方で、シェラトンホテル(現セレナ)やニュー・アフリカ・ホテルなどができてきました。
現在、ダルエスサラームには、多くのホテルがあり、選択に苦労することはありません。前回は、洗濯にも苦労することはありませんでした。