私は現地語ができないので、現地語でのインタビューを行う場合は現地語の通訳を雇う。私が日本語-英語の担当で、彼なり彼女が英語-現地語を担当する。現地語での会話中は、ひたすら彼らの会話が終わるのを待ち、英語訳が出てきたら、それを私が和訳する。二重通訳をするのは、取材対象は英語が全くあるいはあまりできないからで、アフリカではその多くの場合において、取材対象は非識字者であることを意味する。
こんな仕事を長らくやってきて間違いなくそうだと思うことがあるのだが、話す言語数が少なく、且つ非識字で口語のみの話者の話す言語が一番耳障りが良いということだ。文語的な思考がなく、他言語に置き換えるという思考もない人たちが話す現地語は、抑揚があって、とにかく感情を口語の発音に込めて話されている。おそらく彼らは自分で本や新聞やインターネットを読んだことがなく、他言語の話者との接触もなく、自ら文章を書くこともない。彼らにとっては、自分の口や耳で話す聞く口語言語が言語活動の全てとなる。
日本を離れて20年以上になる私だが、この20年でいろんな日本語の単語が生まれたし、日本語が変わったなと思うことは少なくない。その背景に、パソコンやスマートフォンを介した文語的な言語活動が増加したことがあるのではないだろうか。電話での会話が苦手な若者が多いなどという新聞記事を読むとなおさらその気持ちが強くなる。
私が子供だった1980年代のテレビ番組をユーチューブで見てみたところ、当時の日本人の方が今よりももっと口語的な思考で口語的に感情の入った話し方をしていて、現代人の方がやはり文語的な話し方で感情が上手く口語言語で表現できていないように感じる。
アフリカでも似たようなところがあり、英語などの他言語を話し、また読み書きもしっかりできる人の話す口語の現地語は、発音に抑揚がなく感情が込められていないことが多いように思う。識字者の方が正確に多くの情報を伝えられることはきっと間違いないのだろうが、口語の発音という魅力においては間違いなく非識字者の方に軍配が上がると思う。
日本には殆ど非識字者がいないが、言語数という意味では、生まれてから死ぬまで同じ地で過ごし、標準語を話さない、その地の方言以外は話さないような人の口語が魅力的ということになるのだろうか。
言語は先ず口語として生まれてきて、文語としての歴史はまだ浅いらしいが、文語がどんどん言語を変化させているように思う。また、生後の赤ちゃんは先ず口語言語をお母さんから学び、その後学校で文語を学ぶが、最初の言語になるお母さんなり周辺の大人の口語が変わるということは、次世代の使う言語に強い影響を与えるのだろう。少し前まで文字の読み書きができることに価値があった時代があって、現代があって、この先口語で話す聞くができることに価値が見出される時代が来るのだろうか、など思った。