結核、隔離入院の思い出

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もう10年以上前になるが、結核で隔離入院したことを思い出した。

 

当時30代半ばだった私は、命にかかわるような大病をして、当地の医者の勧めで日本の病院に入院することになった。日本の病院に入院して、レントゲンをとったら肺に穴があることが分かり、結核のテストを受けたら結果は陽性で、隔離施設のある病院に搬入された。50キロほどを救急車で移動した。

 

隔離病棟に入れられる。結核の隔離病棟の出入り口は造りがとても厳重で、とても脱走できそうになかった。最初に入った病室は、個室でトイレ、お風呂付きだった。結核での入院は最低3ヶ月間と聞いていて、極端に狭い部屋ではなかったのだが、廊下にさえ出ることもできず、この空間に3ヶ月いるのかと思うと、それをにわかに信じることはできなかった。入院先は大学の付属病院だったのだが、アフリカから来た結核と他の感染症を併発した珍しい患者がいると、研究熱心な医学部の先生が毎週私を診てくれた。

 

幸い回復の速度が早く、3ヶ月間ちょうどで退院ができた。最後の1ヶ月間は庭で散歩したり、隔離病棟内の待合室にも行けるようになった。隔離病棟内では、患者はマスク非着用、医療関係者はマスク着用というのがルールで、家族や知人がお見舞いに来ても同じルールだった。今更ながら、隔離病棟までお見舞いに来てくれた人たちには頭が下がる。あと、病室から見える庭に時々鳥が飛んでくるのがとても嬉しかったこと、散歩する庭から見える風景がとてもきれいだったこと、そこからは日常生活を送る人たちが見えたことなど、当たり前のことがなんでもとても嬉しく感じられたのを覚えている。

 

病室は退院するまでずっと個室だったので、他の患者と接することは全くなかったのだが、時々他の病室から大声が聞こえることがあった。2年以上入院している高齢の男性で、退院の目処も立たず、時々かんしゃくを起こすらしかった。私は入院期間が短かったし、アフリカの厳しい環境に慣れているので、日本での入院生活は辛くなかったが、隔離病棟での入院は精神的な負担が大きいようだ。

 

当時と今の違いは、私一人の時間が止まったのか、世界中の時間が止まっているかで、当時は体も心も病んでいたことで諦めがついて、今は世界中の活動が停止していることで諦めがついている。

 

隔離病棟みたいに、プロの医療者が患者をひとりずつ隔離・管理できるなら良いが、今世界中で行われている都市封鎖やステイホームという手法は、意図せず家庭内での感染率を高める一面を持ち合わせているのではないか、家にいることが本当の意味での解決なのだろうかと心配になってしまう。

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