コロナウイルス、コロナ禍からウガンダを考える

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前回、ウガンダではあまりコロナウイルスが流行していないことを書いた。今日は、このウガンダでのコロナ禍の現状を、アフリカに長く住む私がどう理解しているか書いてみる。

 

ウガンダで公共の交通機関の使用が禁止されたのが3月26日で、夜間の外出禁止、自家用車の使用、食品と薬品以外の店舗の営業が禁止されたのが3月31日なので、交通や経済活動が制限された状態で1ヵ月半が過ぎた。日中の外出に規制がなく、徒歩や自転車、バイクなら移動も許されており、都市封鎖ではなく、外出の自粛の呼びかけもない、ゆるさもあってか、今のところデモも暴動も起きていない。

 

ただ、貯蓄の習慣がないというか、そもそも貯蓄できるほどの収入のない人たちが大半である中、経済活動が止まり、彼らが日銭を稼げないことは、普通に考えると、それはかなり深刻なことだ。実際に1日1食のみの家庭も増えてきていると聞く。過去、新たな税制に対して、現政権への不満に対して、停電の回数が多発していることに対して、同性愛問題に対して、保護区の森を伐採することに対して、これまで幾度とデモや暴動を起こしてきた彼らが、今回は不思議と我慢強く耐え続けている。それには、いくつかの理由があるのだろうと思う。

 

先ずは、そもそもウガンダは食糧事情に恵まれているという点と、本当の意味で完全に貨幣社会に属している人口が少ないということだと思う。カンパラで完全に貨幣社会に属していた人たちの一部は、現金なしでは生きられない首都を諦めて、自分の実家のある村まで1日でも2日でもかけて歩いて帰ったらしい。ウガンダの人口の7割以上が農業に従事し、彼らはさほど現金収入がなくても、自給自足という形でどうにか食うには困らないという人たちが多い。今までもそれがウガンダの経済を下支えしてきた訳だが、今回も農業人口の多さがコロナ騒動の影響の受け皿になっているのだろう。

 

次は、政府の対応の迅速さと国民の感染症への理解の高さだ。ウガンダは、この数年隣国コンゴで流行したエボラの危機にさらされてきた。しかし、それよりもずっと大きな問題だったのがHIVエイズだ。今日でも毎年2万人以上の人が亡くなり、以前は年間10万人近くがこの病気で亡くなっていた。行政が機能していなかった内戦時代にこの病気の流行が始まり、世間体という理由でHIVエイズを死因として用いないことも多かったので、この数字をどこまで信じて良いかという疑問は残るが、当時の人口が2,000万人程度だったことを考えると、相当な比率で死者が出たことになる。また、マラリアで亡くなる人も未だに年間5,000人ほどいる。2000年にエボラが流行し、その時もかなりの騒ぎになったが、死者数は200名程度と人数も流行した地域も限定的だった。

 

近年においては、独裁者などという言葉で形容されることが多いムセベニ大統領だが、私がウガンダに来た1994年頃は、国営企業の民営化を進め、HIVエイズの抑制に成功し、アミンが追放したアジア人の帰還を認めるなど、先進国から「アフリカの優等生」と呼ばれていた。且つ、この年はコーヒー輸出の当たり年で景気がよく、国全体に活気があった。

 

今回のウガンダでのコロナ抑制の背景には、ムセベニ大統領が築き上げてきた感染症対策の蓄積が大きいと思う。もし5年か10年置きに大統領が変わっていたら、過去の蓄積を活かして今回のように迅速な対応ができていたかどうか、国民がそれをちゃんと受け入れていただろうかと疑問に思う。長期政権には良し悪しがあるのだろうが、今回は良しの方で、また、国民から不満の声があまりあがらないところを見ると、普段いろいろと文句を言いつつも、大統領と国民の間に一定の信頼関係があったことが伺える。コロナウイルス関連で、彼は既に国民に対して数回のスピーチを行っており、その役割を大臣や官僚に任せずに、毎回自ら国民が分かりやすいように時間をかけて説明している。来年の選挙を見据えてというところもあるが、やっていること自体は評価に値すると思う。

 

四半世紀も同じところに住み、当然嫌なことも数多く経験してきた。人間の本性というのは、良い時でなくて悪い時に現れると私は思っているのだが、今回のコロナ騒動を通して、意外とウガンダ人は良い人だったのかなと思っている。被害の多い国に住む人にとっては不謹慎になるかも知れないが、この未曾有の事態は、私にとって自分の住む国を見直す貴重な機会になっている。

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