コロナウイルス 最近のカンパラ6月14日

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また今日もコロナに関して。最近のカンパラについて書いてみる。

 

5月26日に自家用車の使用が再開され、ショッピングモールやレストランの営業も再開し、少しながら、カンパラに日常が戻りつつある。

 

6月4日に公共の交通機関の運行も再開された。しかし、こちらは新たな運行の規制が導入され、その条件を満たす車両が少ないのか、登録の手続きが遅れているのか、街中で見かける乗り合いバスの台数はまだかなり少ない。バスの運行再開をあてにバス停に集まったものの、実際にはバスに乗れずに立ち往生してしまった人も多くいたようだ。乗れなかった人たちは気の毒だが、以前のような無秩序な状態に戻るよりは、ロックダウンというどさくさに紛れて新たな制度を導入するのは一案だと思う。

 

乗り合いバスが少なく、バイクタクシーは相変わらず乗客を運べないため、現時点での主な交通手段は自家用車で、自家用車も運転手を入れて乗員は3名と限定されている。結果、街に出てくる自動車の台数は多くなっているようで、街中の渋滞は以前と同様かそれ以上に激しい。夜間外出禁止の関係で、19時までに家に帰りつくように、夕方の渋滞はかなり早くから始まるようになった。

 

移動の規制が緩和され、どっと街中に人があふれるかと思っていたが、スーパーやレストランで見かける人たちの人数は以前ほどではない。徐々にお客さんの数も増えているようだが、感染を心配して外出を自粛している人が多いのだろう。しかし、見事に東洋人差別がなくなった。皆の私を見る視線が明らかに穏やかになった。コロナが流行する前のそれと今は変わらない。良い意味でコロナ対する恐怖心が減り、東洋人が媒介者という考えもなくなったようだ。

 

3月上旬は、まだ何の規制も敷かれていない日常が続いていたものの、コロナという脅威を知り、東洋人は街中でコロナコロナと囃し立てられることが多かった。中旬から下旬、ロックダウンが始まる前後で緊張感が高まり、地元の人たちは東洋人を一層きつい視線で見るようになったが、同時に囃し立てられることもなくなった。そうする余裕もなくなっていたのだろう。あの頃が一番緊迫感があり、また全体的に少し過敏になっていたように思う。

 

ただ、全ての学校は休校の状態が続いており、出入国は今もできず、街中のショッピングアーケードも営業が再開されておらず、段階的に規制が緩和されていながらも、まだ先行きが不透明なところも多い。空港が閉鎖されているため、当面仕事は一切なく、親が死んでも葬式にも出れないなど、個人的にはまだまだコロナ禍真っ只中にいる。

 

最近、飛行機の飛ぶ音をちょこちょこ聞くようになった。それが、とても楽しく嬉しい。聞こえる音がプロペラ機の場合はきっと国内線だが、ジェット機の場合はほぼ間違いなく国際線だ。ジェット機の音を聞くたびに、どこの国から来た飛行機なのだろうか、貨物機なのだろうか、旅客機なのだろうか、誰を何を運んでいるのだろうか、などと考える。小学生ではなので、窓から空を見上げて飛んでいる飛行機を探すことはしないが、飛行機の音を聞くことがこんなに嬉しいのは今までになかったように思う。

 

仕事柄、飛行機に乗ることが多く、空港や機内で嫌な思いをすることも度々で、すっかり飛行機嫌いになっていたが、好きな時に好きな所に行くという自由の有り難さを痛感している。国際線の定期便が再開したら、したで、やはりまた私は飛行機は嫌いだと言うのだろうか。

 

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