コロナ禍、ちょっと嬉しいこと

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コロナ禍、私がちょっと嬉しく思っていることを書いてみる。

外出後、食事の前の手洗い、常にウェットティッシュをカバンに入れていて、外出先など手洗いができない場合はウェットティッシュで手を拭く、現場仕事の場合は鼻マスクをして、且つうがい薬を持ち歩いてこまめにうがい、少しでも喉が痛くなったらマスクをして、シャワーは毎日朝夕の2回、外出時に使った眼鏡は帰宅後に水に浸けて洗い、コンタクトレンズは入浴後か洗顔後に外す、出張の際はAntisepticsと呼ばれる殺菌剤を使い、携帯ウォシュレットも持っていき、出先で差し出された食事は衛生的でないと思ったら、人間関係を壊してでも断る。

上記に書いたことは、いずれもコロナが始まる前から行っている私の生活習慣だ。以前から汚いのが嫌いな性格だが、命にかかわる大病をした後から、更に衛生の意識が強くなった。こんな私がコロナ禍嬉しく思っていることを、下記に書いてみる。

マスク
今はアフリカでもマスクをすることが当たり前になり、衛生の意識が高い人たちなど積極的にマスクを着用する人も多くなった。先日、社内でのマスク着用の会議を行ったところ、民意で事務所での全員のマスク着用が決まったほどだ。

しかし、以前はそうではなかった。喉が痛い時、空気の悪い場所に行く時、私がマスクをしていると、その姿はかなり人目を引き、病原菌を見るような目付きで見られていた。それが理由で、鼻マスクやスポーツマスクなどを試していたのだが、今はマスクをしないと罰せられる時代なので、堂々とマスクをできる。あと、大きな声でつばを飛ばしながら話す人にも、今は堂々と相手にマスクを着用するよう頼むことができる。

社会的距離、ソーシャル・ディスタンス
アフリカでの行列を映像を見たことがある人は知っていると思うが、車間距離ならぬヒト間距離がアフリカではとても近い。時々、相手に触れるのは当たり前だ。国籍人種を問わず、私は触れるのを好まない性格なので、コロナ禍で皆が適切な距離をとって列に並ぶことはとても嬉しく思っている。また、相手が近付いてきた時に、コロナを理由にソーシャルディスタンスと言って、相手を制止できるのも嬉しい。

握手、手に触れるものの共有
私は握手が好きでなく、できればやりたくないと思っている。上記に書いたように、私はこまめに手を洗っているのに、そうでない人と手を合わせるのは、手洗いが台無しになるからだ。コロナを理由に握手という習慣がなくなったのは嬉しい限りだ。

あと、携帯電話、パソコンのキーボード、便座、車のハンドル、これも他人が使ったものは、一旦ウェットティッシュで拭いた後でないと触れたくなく、他人の携帯電話を自分の顔につけるなどもってのほかだ。今までも、身近な人との間では、理由を伝えた上で、ちゃんとウェットティッシュで拭いていた。しかし、今は誰のものでも、触れる前に堂々とウェットティッシュで拭けるようになった。

コロナが流行ってから、社会全体としての衛生概念が変わったのか、私自身の外出の機会が減ったこともあるが、以前よりも喉を痛めたり体調を壊すことが減った。また、レストランや他の公共の場で皆が消毒している光景を見ると嬉しくて仕方がなく、衛生面では現状にとても満足している。

コロナが終わって欲しくない、そう思うことさえある。弱毒化なりワクチンの開発など、ウイルスと人間が共存できる時代が間もなくやってくるのだろう。コロナは終わっていい。ただ、コロナ対策は終わって欲しくない、コロナ禍の私はこう思うのである。
 

下記は以前に私が書いた衛生関連の出張グッズに関する記事。

 

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