携帯でYouTubeを見ていたら、年長の渋めの俳優が昔の映画撮影の話をしていて、面白かったので観ていた。その人の他の動画も観た。ドッキリで自分より立場の弱い若手の芸能人を大声で叱り付け、相手が怖がるのを楽しむという内容だった。今やドッキリは定番のネタなので、きっと若手の芸人もそれを知った上で、怖がるのを演じていたのだと思う。
私はどうも被害者の方に共感してしまう癖があり、ドッキリが苦手というか嫌いなのだが、この手の自分よりも立場の弱い人をいじめるドッキリも、そんなドッキリを観て楽しむ人も嫌いだ。いくらネタをばらしたところで、いじめた事実は変わらないし、こんな陰湿な行為の何が楽しいのかさっぱり分からない。日本の封建的な社会の中で、逆らうことのできない立場にいる人をいじめるというパワハラの構図を観ているようで不愉快なだけだった。
ただ、ドッキリというは私の子供の頃からあったわけで、昔のドッキリはどうだったのか、YouTubeにあがっている昔のテレビ番組を観てみた。先ず驚くのは予算の潤沢さで、エキストラ人数などドッキリに携わる人が多くとにかく大掛かりで、車を廃車にしたり、ニセ番組の収録もちゃんと予算をかけているように見える。人を騙して、海や湖に落っことすのもあったが、下にはダイバーが待ち構えている筈で、昔のテレビはお金がかかってるなと思った。
それと、ドッキリの被害者もプロボクサー、プロレスラー、それを専門にしている芸能人など、この人なら大丈夫と思える人が多くて安心感がある。少し話しが変わるが、80年代の関西芸人がきれいな関西弁を話していて、今テレビで使われているきつめの関西弁はおそらく関西の芸人が全国区になるために作り上げたもので、言葉もすごく変わっているなと、日本を離れて四半世紀を過ぎた私はそう思った。
しかし、テレビからもYouTubeからもいじめ系のドッキリがなくならないのを見ていると、それはもしかしたら現代の日本の社会を映し出しているわけで悲しいし、メダルを噛んだ市長でも女子ボクシングを揶揄した老人でも、彼らに多少の非がありつつも、あそこまで完膚なきまで叩きのめすのは日本のいじめ文化を象徴しているようで、こちらも見ていて悲しい。遠くから母国を見ている私はそう思った。