二人目の自分、ヒューマノイド

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最近ややその傾向が薄れてきたのだが、私は元々人間観察が好きで、若い頃は敏感だったのか、一緒にいると見透かされている感じがすると周りの人からいわれることが度々だった。最近はスマホの画面ばかりをみてすっかり人を見なくなった。

人を観察していて、いつも一つ考えてみることがあるのだが、その人は自分と上手くやっていけるだろうかということだ。実際には親子でも双子でもありえないことだが、世の中に自分と全くの同一人物が存在した場合に、果たしてその人はもう一人の自分と上手くやっていけるだろうかどうか、という疑問である。加えては、同一人物のみの10人で社会を作ったらどうなるのだろうか、ということ。

直ぐに人のせいにする人や構ってちゃんはきっと無理で、気配りの人は気を配られるのに疲れてしまい、競争心の強い人は競争されることに疲れ、依存体質の人だと依存する人がいなくなってしまい、共依存の場合は依存してくれる人がいなくなって困ってしまう。八方美人だけの社会もたぶん厳しい。ツンデレ二人は時間が経つと意外と上手くやっていくかもしれない。

実際にはありえないことで、それ故に世界が回っていて、上手く行くこともそうでないこともあるのだが、今後AIが発達して個性まできれいにコピーできる高性能なヒューマノイドが出てきたら、そんなテストも実現する。自分の分身となるヒューマノイドがいたら、会社での雇用ももっと楽になるだろうし、どれだけ仕事がはかどるかと思うが、私もやはり自分と喧嘩をしてしまうのだろうか。

くだらないことをだらだらと書いてみた。お終い。
 

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