
個人的な話から始めるが、自社の社員がなかなか成長してくれないことを、友人に相談したことがある。その友人はその時、雇用主から上昇志向を求められるのに疲れていたようで、誰でもが向上心を持っているわけではなく、上を目指して生きているわけではない、経営者が上昇志向を持って頑張るのはそれでいいが、必ずしも社員もそう思っているわけではないというような答えを得た。
私の経営する会社は、主に日本人を顧客としているので、当然日本人客が求めるものに基準を合わせてサービスを提供する。その中で、自分の会社で人を雇用する場合、社外の人たちと一緒に仕事をする場合、いつも考えるのが私にはどこまで彼らに要求する権利があるのだろうかという点だ。サービスを提供する過程で、どうしても彼らの文化を否定することが出てくるからだ。
顧客から代金をいただくからには、私にも彼らにもサービスを提供する責任があり、時間や期限を守らないといけないし、手配に間違いがあってはならないというのは当たり前のことだ。ただ、彼らの元々の文化においては、時間を守ることはさほど重要でないし、間違いがあっても多少のことが許すのが良しとされ、それを許す度量がない者は小さく見られる。商取引において、このような常識を適応されてしまっては、顧客はたまったものではない。
なので、長い付き合いをする人に対しては、我々の行う商業活動はあなたたちの文化を否定する側面があることを予め伝え、それが辛くなったら辞めていいと伝えている。代金や報酬に対しての責任があるのは当然だが、わざわざそれをやりたくない人にやってもらう必要はないし、私自身こちらの基準を彼らに押し付ける権利はないと思っているからだ。
また、文化的に額に汗をして頑張って働くというのが格好いいと思われておらず、彼らが格好いいと思うのは額に汗せず澄ましている姿だ。がむしゃらに頑張るなど持ってのほかだ。国内で一生懸命働くアジア系外国人を低く見る傾向もある。ドラマの「おしん」のような美徳はアフリカにはない。
入社後、順調に業務を習得してくれる見込みのよさそうな社員に、業務量や責任の量を増やし、その分多くの給与を支払うことを提案すると、多くにおいて彼らはそれを辞退する。場合によっては無言のまま退職してしまうこともある。頑張って働いてより多く稼ぐよりは、収入はそれなりで良いので、仕事量は自分が穏やかでいられる程度のものに抑えることを選択する人が殆どだ。
そういう意味では、相対的にでも「なぜアフリカが発展しないのか」という質問への答えの一つは、彼らが頑張らないということを選択しているからだと思う。
これは主に都市部における話なので、次は農村部での話しを書く。