私の思うアフリカ ~なぜアフリカは発展しないのか~  09 内戦

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「なぜアフリカは発展しないのか」という問いに、内戦、戦争という視点から考える。

 

大虐殺の直後のルワンダ、独立直後の南スーダン、内戦が落ち着いていた時のコンゴ東部、ゲリラ活動が終わった直後のウガンダ北部など、私はいくども内戦の傷跡を見てきた。内戦が発展の妨げになることを自分の目で確認した。

 

それぞれ状況が異なるが、一番街がボロボロになっていたのは、1995年のルワンダだった。首都キガリ周辺でさえ、ぼこぼこの土道だらけで舗装路が少なく、砲弾の跡が残る建物もあちこちに見られた。キガリの街にいる人も車も、今では考えられないほど少なかった。街中にいる人々はいつも緊張していて、人通りの少ない街中で人を見かけたら、先ず立ち止まって相手が誰かを確認してから近付いていたし、レストランで会話をしていても、ウェイター・ウェイトレスが近付くと一旦会話を止めて、彼らが離れるのを待って会話を再開した。虐殺記念館もなく、虐殺がまだ歴史や学問になっていなかったため、その時は地元の人から信じられないような話を聞くだけで、事態の全容を理解したのはもっとあとのことだった。

 

ルワンダの虐殺の背後に欧米の関与があったことは、今では誰もが知るところになったが、実際にアフリカで起きる内戦は経済大国の代理戦争であることが多い。旧スーダンの内戦は石油利権を巡る現南スーダンの独立戦争という意味合いだったし、コンゴ東部で延々とゲリラ活動がなくならないのも地下資源の利権が背景にある。アフリカの国々の国力を見れば直ぐに理解できるのだが、自国の力だけではあれだけの戦力を揃えることはできないし、あれだけの長期間に渡る戦争を続けることはできない。

 

ウガンダで最初に起きた代理戦争は、独立前後どころか、保護領になる前のことで、英国正教会とローマン・カトリック教会とイスラム教が地元民を巻き込んだ宗教戦争を引き起こし、1888年から1892年まで断続的に約4年間続いた。ウガンダが保護領になったのは1894年で、ウガンダが保護領になる過程においても代理戦争があった。また、イディ・アミンが大統領になったのも、東西冷戦の代理戦争という要素があり、前オボテ大統領が社会主義に進もうとするのを止めるために、西側がアミンを担ぎ上げて大統領に就任させていて、実際にアミンが大統領に就任した当時は、クーデターと手法を使ったにもかかわらず、欧米もアミンを支持していた。国際的なアミンの批難が始まったのは、彼が暴走を始めたあとのことだ。

 

アフリカの国々が独立した後、それぞれの国の社会が一枚岩になれない中、多くの場合民族を単位とする形で代理戦争が起きた。その背景には、自らの国家という社会単位を形成する過程を自らの手で行っていないことがある。だた、代理戦争とはいえども実際に武器を手にして戦ったのは彼ら自身であり、第三者からけしかけられたといって、彼らに責任がないわけではない。代理戦争の無意味さを理解し、今後このような戦いへ減っていくことを望むばかりだ。

 

「なぜアフリカが発展しないのか」という問いへの答えの一つとして、経済大国がアフリカで内戦を引き起こしているから、または、いたからということができると思う。

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