柏田雄一さんが、2023年9月19日に亡くなられました。享年91歳でした。今日9月26日、家族葬が執り行われました。
柏田さんは大阪の繊維商人で、独立前のウガンダに来られ、独立直後にウガンダ政府との合弁会社の繊維工場を経営されました。政情の関係で、80年代初めに一旦日本に戻られ、2000年以降に再度ウガンダで繊維工場に挑戦されています。ウガンダに縁のある方は、ご存じの方も多いかと思います。
こちらは中退の出来損ないですが、学校が一緒だったこともあり、私のことを可愛がってくれました。葬儀の日と私の誕生日が1日違いというの何かの縁を感じます。
日本に戻られる前に撮影した柏田さんの写真です。現代ではあまり良い意味で使われなくなった「躾」という言葉、柏田さんが1960年代にウガンダで工場を始めた際に、会社に勤めるのも製造に携わるのも初めてだったウガンダ人の社員教育において、マナー、躾というのを念頭に社内教育をされたと言うことでした。
その合弁会社を始められたのが、1964年、昭和39年、今から60年前のことです。東京オリンピックの年です。今更ながら、凄いことをした人がいたものだと感心します。
柏田さんが日本に戻られる前に、私は柏田さんの人生を伺うインタビュー番組を制作し、YouTubeで公開しています。柏田さんの生い立ちから終戦まで、そして終戦後の混乱と経済発展、ウガンダとの出会い、ウガンダでの事業についてお話を伺いました。お喋りの好きな柏田さんに一生懸命話してもらいました。ぜひ観てください。
柏田雄一インタビュー
第一話 「ウガンダとの出会い」
https://youtu.be/ylNP_K-8548
第二話 「合弁会社設立」
https://youtu.be/xkpvwaNZxI8
第三話 「混乱の始まり」
https://youtu.be/zPahbovvqXo
第四話 「アミン大統領」
https://youtu.be/U6p0694x5xk
第五話 「アミン失脚、ウガンダ撤退」
https://youtu.be/f08sEMT2Aao
第六話 「フェニックスとして」
https://youtu.be/PksAaWNolew
第七話 「現代のウガンダ」
https://youtu.be/2f-h2oRuVaI
第八話 「生い立ち、そして終戦」
https://youtu.be/yI2VwC17G0Y
第九話 「戦後の混乱、繊維輸出の黎明期」
https://youtu.be/riuyNqdaS2I
第十話 「恩師、現代の日本について」
https://youtu.be/ux4FseC-CZ0
4 thoughts on “柏田雄一さん 死去”
初めてコメントさせていただきます。
実は、私は、ヤマトインターナショナル時代に、柏田雄一氏の部下でした。私は氏の下で多くを学び、影響を受けました。何かの記事でだいぶ以前に、またウガンダにお帰りになった(帰るという言葉がふさわしいのではないかと。。)そして、ユージルを再建されたと聞き、そのバイタリティに心を打たれ、私もがんばらなければと勇気をいただきました。
その後、どうされているのかと思っていた矢先に、こちらのブログを拝見し、お亡くなりになられたことを知りました。
もっと早く帰国されていたことを知っていれば、お訪ねしたかった、もう一度お会いしたかった、そんな後悔の気持ちでいっぱいです。
でも、柏田副社長(私が在籍していた頃の役職でした)は、きっと最期まで、私の記憶にある偉大な方として旅立たれたのだと思います。
心からご冥福をお祈りし、柏田学校の門下生のひとりとして、恥ずかしくないようにこれからもがんばります。
どうもありがとうございました。動画もゆっくり拝見させていただきます。
コメントをありがとうございます。
帰国後、柏田さんはケアホームに入られたようですが、そこでも人気者で、最後はご家族に看取られたと聞きました。また、私も帰国後の柏田さんに会いに行くことができなかったのですが、次の帰国の際にお墓参りに行こうと思っています。
私も門下生として頑張っていこうと思います。
私は柏田さんに長年お世話になりました。初めてお目に掛かったのは1982年に私が駐在していたバンコクに来られた時でした。以来とても懇意にして頂いてバンコクや大阪でお目に掛かり、また、ファックスや電話で相談に乗って頂いたこともありました。
数年前にヤマトインターナショナル社経由でお便りを出しました。その時お返事は頂けませんでしたが、亡くなられた折にご遺族から丁重なお手紙を頂きました。暖かく親身に相談に乗って頂いたこと、ウガンダでの夢を熱く語られたこと、柏田さんの思い出は尽きません。
偶々ですが、調べ物をしていて柏田さんのインタビューを載せられている事を知りました。とても懐かしく感じております。有難うございます。
コメントをありがとうございます。
1982年であれば、柏田さんがウガンダを撤退される直前の時期かと思います。
先週、1960年代、70年代にウガンダで柏田さんにお世話になった方たちと一緒に東京で食事をしました。いろいろな思い出話を伺いましたが、既に80代になられている彼らにとって、柏田さんは今でも皆の英雄でした。